すでに閣議決定がなされたので、これからは天皇に上奏を行うことになる。そこで大久保が行ったのは、宮内少輔の吉井友実を通じての宮廷工作だ。それによって、岩倉に太政大臣の代理が命じられることになった。
あとは、太政大臣の代理となった岩倉に、上奏の際に閣議決定とはまるで違う意見を通してもらう。つまり、天皇への上奏という段階で、閣議の決定事項を無視して自分たちの意見を押し通そうとしたのだ。
大久保の秘策のポイントは、三条に代わって岩倉に実質的に太政大臣の役割を務めてもらうことにある。宮廷工作によってそれが実現した時点で、大久保の秘策はほぼ成功したようなものである。
それにもかかわらず、「岩倉が太政大臣の代理になる」と副島種臣から聞いた西郷はむしろ「大幸」と喜んだ。三条よりも事がスムーズに運ぶと思ったのだろう。岩倉が大久保と手を組んでいるとは知る由もない。それはほかの西郷派の参議にも言えることであった。
大久保利通の寝技に敗北した西郷隆盛
そして、10月22日、西郷は自分に味方する板垣退助、副島、江藤の3人とともに岩倉邸を訪ねている。あとは閣議決定どおりに、自分の朝鮮派遣について天皇に許可を得るのみなので、西郷は岩倉に要請している。
それに対する岩倉の返答に、一同は騒然したことだろう。岩倉が「閣議での決定と自分の意見を同時に天皇に上奏する」と言い出したのだ。
それでは閣議の意味がまったくなくなってしまう。岩倉は散々に批判されたに違いないが、三条のように、意思が揺らぐことはなかった。押しに弱い公家は公家でも、アウトロー公家である岩倉具視の面目躍如といったところだろうか。
西郷隆盛、そして西郷を支持した参議たちは、ここで大久保の寝技を前に敗北したことを知った。
翌23日、岩倉は閣議の内容を奏上しながら、自分が書いた意見書も提出している。そこには、次のように書かれていた。
「今は民力を養成して、国家の富強に務める時期である。そのため、朝鮮との開戦につながりかねない西郷の派遣には反対する」
江藤との論争に敗れた大久保の言い分が、そのまま反映されている。
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