実は1956年生まれで2009年に社長へ就任した豊田章男社長は、初代からすべての世代のクラウンをリアルに経験してきた数少ない1人であり、クラウンに対して並々ならぬ強い想いがある。氏はクラウンに対してこう語っている。
「生まれたときから家のガレージにはクラウンがありました。つまり、私の人生はクラウンとともにあったと言っても過言でありません」
「10歳のとき、富士スピードウェイで行われた日本グランプリからの帰り道、大渋滞に巻き込まれ名古屋に着くころには夜が明けようとしていましたが、私は父の運転する2代目クラウンの後席で見た日の出は今も忘れることはない」
「トヨタに入社し最初に配属された職場はクラウンが生産される元町工場。8代目の準備に携わり、皆が誇らしげに仕事をしていたことを、今でも覚えています。当時の工長さんがクラウンに乗り出勤する姿は本当にカッコよかった」
「2000年初頭、成瀬さんに運転訓練を受けていたときに、ゼロクラウン(12代目)の走りのよさを、自らのセンサーで感じたことを今でも鮮明に覚えている」
見た目や走りが変わるだけでは事態は好転せず
だからこそ、クラウンを変える必要があると考え、「一目見て、『欲しい!!』、そう思えるクルマにするなら何を変えてもいい」と開発陣にハッパをかけた。それが先々代(14代目と先代(15代目)だ。
14代目はデザインを大胆に変更、前代未聞となるピンクのボディーカラーが話題となった。15代目はメカニズムをトヨタのクルマづくりの構造改革「TNGA」をフル活用して刷新。日本専用車ながらも海外でも通用する走りの実現のために、ドイツ・ニュルブルクリンクで鍛えるなどさまざまな改革を進めた。しかし、事態が好転することはなかった。つまり、見た目や走りが変わるだけではダメで根本から変わる必要がある……と。
「このままではクラウンは終わる。何としてでもクラウンの新しい時代を作らなければならない!!」
豊田社長はそんな危機感から行動を起こした。それが今回紹介する16代目だ。実はその開発には紆余曲折あったそうだ。さかのぼること2年前、豊田社長は開発陣から先代のマイナーチェンジモデルのデザインスケッチを見せられ、「本当にこれでクラウンが進化できるのか?」と疑問を呈した。クラウンを開発するミッドサイズ・ヴィークル・カンパニーの中嶋祐樹プレデント曰く「疑問というよりも“怒り”に近かった」と語っている。
そして、豊田社長は「マイナーチェンジを飛ばしてもいいので、もっと本気で考えてみてほしい」ということで、16代目の開発がスタートしたそうだ。
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