クラウンを大変身させた豊田社長の強烈な危機感 16代目開発の裏側と第1弾クロスオーバーの全貌

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クラウンの新しい時代が始まった(撮影:尾形文繁)
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1955年に登場以降、日本のモータリゼーションの発展とともに進化・熟成を重ねてきたトヨタ自動車「クラウン」。恐らく、クルマにそれほど興味がない人でもクラウン=日本の高級車というイメージが強く浸透しているはずだ。単一車種でここまでのロングセラーは世界を見ても類がなく、人それぞれにさまざまな思い出があるはず。

そんなクラウンの歴史を簡単に振り返ろう

・純国産設計にこだわった「初代(1955~1962年)」
・ハイウェイ時代に対応した「2代目(1962~1967年)」
・オーナードライバー向けの展開を行った「3代目(1967~1971年)」
・大胆なデザインに賛否が生まれた「4代目(1971~1974年)」
・排ガス規制に翻弄された「5代目(1974~1979年)」
・近代化が進められた「6代目(1979~1983年)」
・「いつかはクラウン」のキャッチが話題だった「7代目(1983~1987年)」
・歴代最高の販売台数を記録した「8代目(1987~1991年)」
・派生車(マジェスタ)の陰に隠れた「9代目(1991~1995年)」
・バブル崩壊の影響を受けた「10代目(1995~1999年)
・ハードトップからセダンに原点回帰した「11代目(1999~2003年)」
・エンジン/プラットフォームとすべてを刷新した「12代目(2003~2008年)」
・ハイブリッドが初めて設定された「13代目(2008~2012年)」
・稲妻グリルが話題となった「14代目(2012~2018年)」
・TNGA採用で世界基準の走りがプラスされた「15代目(2018~2022年)」

日本の高級車という軸は変わらないが、その時代の背景/状況に応じて真摯かつ柔軟に対応を行ってきたことがわかるだろう。

「革新と挑戦」が「変えたくても変えられない」に

しかし、その歴史は必ずしも右肩上がりではなく浮き沈みがあったのも事実だ。とくに2000年以降はクラウンの立場を揺るがす存在や環境……レクサスブランドの日本展開、ミニバン「アルファード/ヴェルファイア」の存在、高級車の立ち位置の変化、さらには輸入車の進出などにより、存在感が薄れたのも否めない。ユーザーの心理も「いつかはクラウン」から「誰もがクラウン」を経て「本当にクラウンでいいのか?」に変わっていった。

当のクラウンにも問題があったと思う。クラウンのDNAは「革新と挑戦」だが、実は60年以上にわたる伝統が逆に足かせとなり、知らず知らずのうちに、「変えたくても変えられない」状況に。これはロングセラーならではの悩みである。しかし、そんな状況に対して、トヨタはただ指をくわえて見ていただけでなく「変わる」ための努力をしていた。

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