「初代天皇の建国」はなぜ「九州」から始まったのか 宮崎から奈良へと至った「神武天皇の東征」
上つ巻、中つ巻、下つ巻の3巻から成る古事記では、中つ巻から日本書紀では巻3から神武天皇の話になっていく。そこで中心をなすのは「東征」の物語である。
神武天皇は日向(宮崎)を出発して東に向かい、大和国(奈良)に至ってそこに都を開く。東征について語るには、神武天皇が都よりも西のどこかにいなければならない。
大和の西ということでは、(国譲り神話の舞台である)出雲(島根)を出発点としてもさしつかえないはずだ。山陽道を通る必要があるということなら、出雲からいったん南に下り安芸国(広島)に寄ればいい。
隼人(南九州に住んでいた人々)を服属させたことを語る必要があったのかもしれないが、天孫降臨の地に選ばれたのは日向だった。そこにも出雲神話と同様に、現実の歴史が反映されている可能性もある。
九州は古代において重要な地域だった
日向のある九州は朝鮮半島にも近く、古代において重要な地域だった。それは何より邪馬台国が存在した場所が、都がおかれることになる近畿に求められる一方で、九州ではないかとされてきたところに示されている。
やがて応神天皇と習合し、アマテラスに次ぐ第2の皇祖神とされるようになる八幡神も、九州北部においてはじめ渡来人が祀っていた神だった。大規模な祭祀が行われていた沖ノ島も九州の北、玄界灘に位置している。弥生時代の代表的な遺跡、吉野ヶ里遺跡も佐賀にある。
そうした点で、神武天皇の東征は九州から始まる必要があったということだろうか。しかし、出雲と日向とがどうかかわるかについては、まったく何も述べられていない。
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