平家打倒後、源頼朝が御家人へ暴言吐いた深い訳 人の容姿を攻撃しているものがけっこう多い

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源頼朝の面白いエピソードに迫ります(写真:TGM/PIXTA)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送で、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。鎌倉時代後期に幕府関係者により編纂された歴史書『吾妻鏡』には、平家が滅亡した壇ノ浦の戦いの後、源頼朝が平家討伐のため西国に出陣していた関東御家人らに書状で罵詈雑言を浴びせるという記載があります。なぜ頼朝はそんなことをしたのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

『吾妻鏡』の元暦2(1185)年4月15日の項目には、源頼朝が平家討伐のため西国に出陣していた関東御家人らに書状で罵詈雑言を浴びせるという内容の文章が記されています。

1185年4月15日というと、壇ノ浦合戦(3月24日)で平家が滅亡してからひと月も経っていないころ。そういったときに、鎌倉にいる頼朝は、上洛した関東御家人らが、頼朝の推薦を受けずに、朝廷の官職をもらったとして激怒。その御家人らの名前を紙に書き、その者たちの悪いところを書いて、つまり罵詈雑言を書いて、送ったのでした。

では、頼朝はどんな悪口を書いたのでしょうか。

「悪い主君」と言われたことを根に持つ

1人目の犠牲者は、兵衛尉義廉(ひょうえのじょうよしかど)。頼朝は彼に言います。「お前は私を悪い主君だと言った。一方、木曽義仲をよい指導者だといい、親族を引き連れて、木曽方に参ろうと言った。また、鎌倉殿に仕えたら最後には落人になってしまうといったこと忘れたわけではあるまい。こいつは、とんでもない悪兵衛尉だ」。

これに関しては、頼朝は、兵衛尉義廉が自分のことを「悪い主君だ」と言ったことをかなり根に持ち、怒っているようにも思います。

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