平家打倒後、源頼朝が御家人へ暴言吐いた深い訳 人の容姿を攻撃しているものがけっこう多い

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実は御家人に対する悪口、あと13人も続きます(つまり合計24人)。さすがにあと13人も悪口が続けば、読むほうも疲れると思うので、簡潔に記すと、「官職好みの奴め」(山内経俊)、「顔がフワフワしている」(意味不明、顔に締まりがないということか。平山季重)、「色白で顔に締まりがない」(豊田義幹)、「私に声をかけるのも怖がっていたのに」(宮内丞舒国)、「大嘘付き」(中村時経)などがあります。

これらを見ていると、頼朝はけっこう、人の容姿を攻撃しているように思います。子どもっぽいと言えば子どもっぽいですが、見方を変えれば、人間をよく観察しているともいえましょうか。約20年にも及ぶ流人生活、平家打倒のため挙兵してからの敗戦、安房国(千葉県南部)への逃亡生活。そういったことが重なって、人間観察をじっくりする癖がついたのでしょうか。(誰が信用できて、誰が信用できないか)ということを容姿その他で見て、覚える癖がついていたのかもしれません。

頼朝が御家人に怒った理由とは?

これら御家人への悪口を書いたのは、彼らが勝手に朝廷の官職についたからだと思われるかもしれませんが、実はそう単純ではありません。この悪口の前に、頼朝は彼らに書状を書いているのですが、そこにはこう記載されています。

「任官とは本来、仕事をしたり、自らの私費で朝廷に代わり事業をして、朝廷から官職をもらうことである。それなのに関東の御家人は、荘園の年貢を抑留し、国衙へ収めるべき物も略奪している。成功(じょうごう=金品などで官職を買うこと)もせずに、勝手に任官を受けている。この任官を止めなければ、成功の意味もなくなってしまう。任官を受けた連中は、地方への思いを断ち切り、京都に住んで勤務すればよい」

頼朝が御家人に怒っているのは勝手に任官(自由任官)したからというよりは、実は彼らの不正に怒っていたのです。「関東に帰ってきたら、本領を召し上げ、首を斬る」とまで頼朝は怒っていますが、要は彼らに京都にいて、治安維持に当たりなさいと主張しているのです。京都の朝廷の指揮のもとに動く御家人の存在を頼朝は否定していないのです。

源頼朝が御家人に罵詈雑言を浴びせた理由には「自由任官」以外の深い理由があったのでした。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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