平家打倒後、源頼朝が御家人へ暴言吐いた深い訳 人の容姿を攻撃しているものがけっこう多い
6人目の兵衛尉基清(ひょうえのじょうもときよ)。これは後藤基清という武将です。彼には「目はねずみに似ている。ただおとなしく仕えていればいいものを。勝手に任官などして」との言葉をぶつけています。とくに攻撃する様な行動が見当たらなかったので、ついに容姿にまでケチをつけだしたのでしょうか。
7人目は、馬允有経(うまのじょうありつね)。これは波多野有経。頼朝は彼には「小者のくせに。おとなしく従っておればよいものを。五位の馬允の任命を受けるなんて、あり得ない」と怒りをぶつけています。
重臣である梶原一族にも罵声
8人目は、刑部丞友景(ぎょうぶのじょうともかげ)。彼は梶原友景。そう頼朝の重臣として有名な梶原景時の弟です。重臣の弟であっても容赦なく、頼朝の罵声は加えられます。
「声はガラガラ声、髪は薄くやっとまげを結っているような奴、刑部なんてガラじゃない」
ずいぶんとひどい言われようです。
9人目、10人目も実は梶原一族。9人目は、兵衛尉景貞(ひょうぶのじょうかげさだ)。これは梶原景貞で先ほど登場した友景の子です。
頼朝は、彼には「合戦のときに勇気を奮ったと聞いている。それなのでいいなと思っていたのに。勝手の任官なんてとんでもないことだ」との言葉をかけている。目をかけてやろうと思っていたのに残念という感じでしょうか。
10人目は兵衛尉景高(ひょうぶのじょうかげたか)。これは梶原景高、頼朝重臣・梶原景時の次男です。
彼には「人相が悪い。もともとおかしな奴と思っていたが。任官など似つかわしくない。見苦しい」と一刀両断。お気に入りの家臣の息子にここまで言っちゃっていいんですかと、こっちが心配になります。
ちなみに、梶原景時の嫡男・景季(11人目)もリストには載っていますが、悪口も何も書かれていません。頼朝は、宇治川の戦いの前に名馬を景季に与えていますので(『平家物語』)、かなりのお気に入り。さすがに悪口は書けなかったのでしょうか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら