平家打倒後、源頼朝が御家人へ暴言吐いた深い訳 人の容姿を攻撃しているものがけっこう多い

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次は2人目、兵衛尉忠信(ひょうえのじょうただのぶ)。これは佐藤忠信のこと。奥州藤原氏の家臣であった人ですが、平泉から義経についてきて活躍した武将です。頼朝は彼に対し「藤原秀衡の家来が、なぜ官位を拝領できるんだ。そのようなことは昔からない。いい気になるなよ。イタチにも劣る奴だ」

なぜ、ここでイタチが出てきたのかはわかりません。イタチというと、悪臭を放つ動物として知られており、人々に嫌われていたのでしょうか。だから、罵倒する意味でイタチより劣るといったのかもしれません。

領地を返すのを「やっぱりやめた」

3人目は兵衛尉重経(ひょうえのじょうしげつね)、これは師岳重経という武将。頼朝は彼に対しては「勘当を許して本領を返してやろうとしたものを、今となっては本領を返す事はできない」と言っています。領地をやっぱり返すのやめたということです。

4人目は渋谷馬允(しぶやうまのじょう)、渋谷重助という武将です。頼朝は彼に対してはこう言います。

「おまえの父・渋谷重国は地元にいた。それなのに平家についてあちこちで戦った。木曽義仲が京都へ攻め入ったときには、さっさと義仲軍に従って京都に残った。また、源義経が義仲をやっつけて、京都へ入ってきたときはすぐに義経のもとに駆けつけた。

その後、たびたびの合戦で勇気を奮ったので、平家への分と義仲への分の勘当を許して仕えさせてあげたのに、勝手に任官するとは。いずれ首を切られることになるので、うまい鍛冶屋へ言いつけて首に厚く金具を巻いておくんだな」

敵方に何度ついても許してやったのに。許さん。首を洗って待っておれということでしょう。

5人目、小河馬允(おがわうまのじょう)へは「勘当を許してやり、可愛い奴だなと思い始めたのに。何で任官したんだ」

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