医師17万人が集結「日本医師会」の知られざる実情 横倉名誉会長が語った、医師会の意義と課題

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――ホームページでは医師会がイメージするかかりつけ医とはどんなものか、紹介しています。でも、例えばお腹の症状を専門とする消化器の開業医に、肺炎などの呼吸器の病気を診てもらえる気がしなくて……。

横倉:確かに日本の特に病院は、○○外科、××内科のように、診療科が細分化されていて、それぞれ専門の研修を受けた専門医がいます。ただ、勤務医が地域で開業するときには、幅広い診療能力が求められますので、専門外の領域の経験も積む必要があります。

日本医師会には「生涯教育制度」というものがあって、広く病気を診られるような勉強をしてもらう仕組みを作っています。まったく知られていませんが、1986年には制度化していて、開業医の70%ぐらいが取得しています。

――知りませんでした。

横倉:そこが一番の問題ですね(笑)。こういうことをやっているということも、国民の皆さんに知ってもらわないといけません。

会長就任期間中、印象に残っていることは東日本大震災

――横倉さんは8年間会長に就いていました。印象に残っていることはありますか?

横倉:会長になる前でしたが、東日本大震災がありました。被災現場に薬を届けたくて、製薬メーカーにお願いして調達したんだけれど、運ぶ手段がない。だから飛行機で運べないかと自衛隊にお願いしましたが、そのときは震災直後で大変忙しかったのでしょう、「運送屋じゃない」と断られて、困りました。

――え、断られた?

横倉:そう。そうしたら、そのときにたまたま米軍が“トモダチ作戦”を始めることを知って、そこで連絡を取って、横田基地から飛行機を飛ばしてもらいました。被災後、仙台空港に初めて着陸したのが米軍機だったんですよ。もちろん、その後は自衛隊が全面協力してくれました。

あのときは本当に現場の医師には頭が下がる思いでした。彼らは自分たちも被災していて、家族の状況もわからないという状態だったにもかかわらず、避難先で診療をしてくれて。そこに医師会もJMAT(日本医師会災害医療チーム)を送って応援に入りました。全国から1万人近い医療関係者が支援してくれました。

――横倉さんは2年前まで会長をされていましたが、前回の会長選挙は新型コロナの感染拡大が始まった頃で、「こんな大事な時期に選挙などすべきでない」と反対されたと聞いています。

横倉:僕は立場上、言えなかったけれど、「1年延期したらどうか」とは提言してもらいました。けれど結局、そのときは「やるべきだ」という声が大きかった。

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