53歳で異業種へ…元NHK看板アナが体験した試練 外される世代と自覚し、新人として飛び込んだ
アナウンサーからの転職
内多さんは、東大を卒業後、NHKのアナウンサーとして入局。内多さんの子どもの頃の夢は、「一生懸命勉強して、いい大学に入って、絶対潰れないような安定した会社に入る。結婚して子どもを3人持って、家を買って、安定した生活を送ること」だった。子どもにしては、一見地味な夢に見えるかもしれないが、「子どもの頃は貧乏だった」と語る内多さん。誰よりも安定を望み、定年までひとつの会社で働くことを疑わなかったという。
内多さんの初任地は高松からスタート。その後、大阪、名古屋、東京と転勤しながら着実に実力も上げていった。内多さんが担当した番組は、「生活ほっとモーニング」といったソフトな生活情報番組から、「首都圏ネットワーク」や「首都圏ニュース845」など硬めのニュース番組まで幅広い。また、単に原稿を読むだけにとどまらず、自ら企画提案し、積極的に取材現場にも足を運んだ。それが功を奏したのか、後にNHK内でもステータスが高いとされる「クローズアップ現代」の代行キャスターをすることにも繋がった。
20代、30代とキャリアを重ね、どんどん脂が乗っていく。40代中盤で、名古屋局に異動。ここで初めての単身赴任を経験する。もともと話好きな内多さんは、「一人で生活するよりも、家族と一緒に暮らしたい」というタイプ。多少、無理難題と感じる仕事にも全力で取り組んで、次の異動を迎えるまでの数年間、ひたすらに職務を全うした。
しかし転勤のタイミングである3年が過ぎても異動の内示は出なかった。「正直、ふてくされた」という。そこで、気持ちを切り替えた先が、資格の勉強だった。
「社会福祉士の資格を取ろうと思いました。取材を通して障がい福祉に興味を持っていたんです」
もちろん、NHKを退職するつもりなど毛頭ない。ただ、定年後は放送業界から身を引いて「福祉のおじさん」として働くのもいいかな、と漠然と思ったそうだ。仕事のスケジュールを調整しながら、通信制の学校に2年通った。47歳で入学。社会福祉士の資格を取得したのは50歳を迎える春だった。
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