53歳で異業種へ…元NHK看板アナが体験した試練 外される世代と自覚し、新人として飛び込んだ

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仙台の転勤が決まった頃。もともと誰かとお酒を飲むことが好きな内多さんは、取材を通して縁ができた医療や福祉関係者の気が合う人たちと、時々お酒を飲んでいた。その日もいつもどおり楽しく会話をし、ときには「NHKなんて辞めてやる!」と仕事への不平不満を言いつつも、ビールを美味しく飲んでいた……はずだった。そこで、ある福祉関係者がこう言ったという。

「今度、国立成育医療研究センターで、新しく医療的ケア児と家族を支援する“もみじの家”という施設ができる。そこでハウスマネジャー(=事業に関わる計画立案やマネージメント、広報、寄付や補助金の呼びかけをする事務の窓口)になる人を外部から探しているらしい」と。

しかも、黙って話を聞いていたつもりが「内多さん、どうですか?」と突然言われ、一気に酔いが醒めたという。

確かに、NHKにこのままいてどうなるか、行く末は想像がついてしまった。しかし、このまま先細りの人生を過ごし、定年して悠々と暮らす過ごす人生も望んでいない。

では、転職してネックになることは何か?家のローンは完済。3人いる子どものうち、末っ子はまだ学生だったが、学費の見通しは経っている。家族の反対もない。確かに給料は減るが、そうは言っても成育医療研究センターの正社員として固定給がもらえるのだ。NHKのアナウンサーを辞めるなんてもったいない!と言われても、テレビで十分仕事はできた。アナウンサーとしても未練はない。魅力的な話に心が揺れたと振り返る。

まだ、答えは決まっていないとしながらも、建設中であるもみじの家を見学させてもらった。すると、担当者がある部屋で「ここが、内多さんの席ですよ」と案内してくれたという。「ちょっと待ってくださいよ(笑)と言いつつも、自分を必要としてくれる人がいるんだと思ったら、すごくうれしかったんですね」。こうして内多さんは転職を決めた。

会議資料ひとつ、誰かを頼らないと作れない

53歳を迎える春、内多さんの第二の人生が始まった。もみじの家のオープニングセレモニーでは、ハウスマネジャーとして挨拶も担当した。元アナウンサーとしては、これくらいなんてことはない。しかし調子が良かったのはそこまで。そこからまさかの急降下がはじまる。

まず、もみじの家の利用者さんが集まらず、試行錯誤するところから始まった。

そして、内多さんはパソコンが使えなかった。事務作業をするには致命的だった。NHKではすべてWordで済ませており、やや強引ながらも何とかなっていたという。しかし、Excel、パワーポイントとイチから覚えることに。会議資料を作るにも、誰かの手を借りないと作れない情けなさに苛まれた。そもそも皆忙しそうだし、質問をするにも気がひける。「Yahoo!知恵袋」で夜な夜な検索することも多かった。

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