隠れた名門、「ホテル龍名館」の秘密 明治の文化人が愛した老舗は何度も変身
1955年に出版された幸田文の小説『流れる』は、華やかな花柳界とそこに生きる女性たちを描いた小説だが、その中にこんなくだりがある。
「電話はどこからだったの」
「それがおねえさん小石川なのよ。ねえ梨花さん、九十二って小石川だわね」
「はぁ小石川です」
「そんな変な処からの電話じゃあ辻占はよくないね。ちゃんとした帝国ホテルとか龍名館とかいうのなら又いいけど」
帝国ホテルか龍名館か
意中の男性から電話が掛かってはしゃぐ若手の売れっ子芸者と、それをたしなめる先輩芸者。先輩芸者は男性がどこに逗留するかで、その資力と社会的ステイタスを判断している。
著者の経験をもとにした『流れる』には、当時の風俗が描かれている。帝国ホテルと並んでステイタスシンボルとされた龍名館とはどんな旅館だったのか。
淡路町から神田駿河台の観音坂を上りきったところに、その旅館は存在した。今は「ホテル龍名館お茶の水本店」と名前を変えている。創業は1899年(明治32年)で、日本橋室町で江戸時代から続いた旧名倉屋旅館の分店としてスタートした。
「初代の卯平衛は名倉屋を経営する浜田家の長男でしたが、姉に婿養子を迎えたため、独立したのです」
浜田敏男社長は、こう説明する。5代目の敏男氏は卯平衛氏のひ孫にあたる。
「そもそも旅館の経営というのは女将が中心でしたからね。卯平衛が旅館を“龍名館”と名づけたのは、姉の“辰”という名前と実家の“名倉屋旅館”から1字ずつとったものと言われています」
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