原始的メディアだからできることがある--『私のフォト・ジャーナリズム』を書いた長倉洋海氏(フォトジャーナリスト)に聞く
--フォトジャーナリストとしては、戦場カメラマンがスタートですね。アハマッド・シャー・マスードの写真集で有名になりました。
旧ソビエト連邦軍に勝利し続けるアフガニスタンの若き指導者に興味を持ち、取材に行った。彼の人柄に引かれてアフガニスタンの土を踏んだのは、九度に上る。結局、彼は自爆テロで倒れてしまった。
知らない土地に行くと知らないものがたくさんありそうで、わくわくする。この感じは子どものときからだ。同時に、怖いぞという気持ちも湧いてくるが、何度も行っているうちに、怖いと思っていた相手、警戒しなければと思っていた人との壁が消えていく。その最上の喜びをマスードとの交流で知った。
100日間一緒に過ごした当時、同い年の29歳だった。ダリ語も覚え準備した。パキスタンからマスードの元に行くために5000メートル級の山を五つ越え、12日間山岳地帯を歩き続けた。高山病になりかけた中で、カメラ3台ほか十数キロの荷物を背負う。マスードは指導者として1万人以上の兵士を率いて、国防大臣になったり、アフガニスタンの現代史において特筆される人物だ。彼を指導者としてよりも一人の若者としてとらえることで、自分自身をそこに投影して見ていたような気がする。
──内戦下のエル・サルバドルでヘスースという少女に会い、写真集にしています。
その子は、3歳から21歳まで取材した。何か父親のような、応援するような気持ちになった。フォトジャーナリストというと、新聞や雑誌に載せることから、公正無私で中立的な報道をすべきだというイメージがあるかもしれない。僕のフォトジャーナリズムは、戦争とはこうだ、この地域はこうなっていると説明することではない。そこで出会った人の生き方を、僕の感じたとおりに伝えることだ。