哲学塾に日々やってくる"厄介な"塾生たち 哲学科の大学院に通う「唯一の利点」とは?

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そのうえ、哲学は思想や人生観とごく近いところにあるので、個々の哲学者の好みと完全には区別できない。それでも、思考を重ねてきた、センスのいい発言と、思いつきの、あるいはセンスの悪い発言との差異は明らかですが、その差異を哲学的センスの悪い当人に認めさせることは難しい。

こうして、「カントが言っているんだから、黙れ!」とならないように細心の注意を払っていると、今度はカントをもヘーゲルをも屁とも思わない無謀で幼稚な発言が繁茂してしまう。というわけで、その調整にはかなりのテクニックが必要です。

哲学科の大学院に通う利点とは

一方で、かなり哲学書が正確に読めてきて、教室の中でも頭角を現してくると、また別の問題が発生することがあります。それは、私が「なるほど、なるほど」と聞いているうちに、歯止めが効かなくなって、私のカント解釈にいちいちいちゃもんをつけ、どんなに私の解釈を伝えても、研究史の背景を伝えても、頑として誰も主張したことのない自説にしがみつき、こうして授業時間の半分以上を取ってしまう。確かに、まったくの新人がカントの文章に関する200年にも及ぶ解釈を一変するような斬新な解釈を出すかもしれないけれど、それはほとんど考えられず、それを本人に示唆しても、聞く耳を持たない。

こうして、授業がしにくくなるので、最終的には「そのままの態度を改めないのなら辞めてください」と言わざるをえなくなる。こういう現象は、よく思考し、哲学的センスに恵まれた人に多いので、本当に困ります。

どうしてこうなるのか、考えてみましたが、思うに、「仲間との凄まじい議論の場」を持ってこなかったからだと思います。哲学科の大学院にはマイナスの面が多いのですが、一つだけプラスの面があるとすれば、哲学仲間を得ること、彼らのあいだにあって、どんな堅固に見えた自説でも粉々に打ち砕かれる運命にあるという体験をすることです(ただし、優秀な哲学仲間の集まっている大学に限る)。

ですから、哲学塾で哲学的センスがあると思われる人には、東大とか慶応の大学院を受けるように、そうしないまでも、有名大学の授業に参加して優秀な哲学仲間を得るように勧めています。(私も極力気をつけていますが)傲慢にならないように、お山の大将にならないように。

中島 義道 哲学者

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なかじま よしみち / Yoshimichi Nakajima

電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。

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