哲学塾に日々やってくる"厄介な"塾生たち 哲学科の大学院に通う「唯一の利点」とは?

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さて、こうした現象が少額の聴講料を取ることによって消滅したことは大きな発見でした。というわけで、もう少しお金の話を続けます。どうも、「哲学塾」のお金の取り方が普通ではないので、受講希望者はなかなかわかってくれないようですが、ほかの学校(語学学校や予備校)とは違って、そもそも私はあまり儲けたくないのですから、それに塾生にイヤイヤいてもらいたくないのですから、おのずからシステムすべてが変わってくる。

たとえば入塾時に入塾料として3000円取りますが、これは、一生有効です。聴講料は前もって取らず、実際に受講した科目だけ「あとで」払えばいいのです。毎月おおよその聴講計画表を出してもらいますが、それは目安で、何の理由もなく来なくてもいいし、やめても構いませんし、1年後にまた来ても構いません。本当に聴講したい人だけが来ればいいし、来たくない人をお金で縛りたくはないので、論理必然的に(?)こうなります。

自説にしがみつく塾生

これでうまくいっていますが、油断をしているとたちまちアナーキー状態は再現し(これも拙著『非社交的社交性』講談社現代新書で書きましたが)、学生には学割、遠距離の受講者は半額、失業中の者も半額……そして、彼らに「聴講料は払えるときでいいよ」と口を滑らすと、気がついたときには、塾生の半数が聴講料を払っていないことに気づき仰天、それを教室で追及すると「約束が違う」とひどく憎まれることになりました。そこで、また気を引き締め……ということの繰り返しで、今日に至りました。

ですから、私の本を読んで、もっとアナーキーな場を期待していた人が参加してみると「あまりにも普通」なので驚くことがあるようです。せっかくですから、今回はこのことを「哲学議論」という観点から探ってみましょう。

真剣に哲学をしたいと思っている人ほどそうなのですが、もっと「自由なあるいは激しい討論の場」を求めていたが失望した、というわけです。確かにいまの私は、過去の経験により、哲学議論を警戒しているところがある。哲学議論は、真剣に戦わせればおのずから激しい応酬になりますが、ソクラテスのように、相手に勝つことが目的ではなく、相手が真理を語れば、私は喜んでそれを受け容れる、とはなりにくく、どうしても自説にしがみついてしまう。

さらに、「何でも思ったことを語りなさい」と言うと、思いつきに過ぎない説が堂々とまかり通ることにもなる。しかも、次第に(ある人は)その思いつきにどこまでも固執する態度に変身してしまう。

こういう現象も何度も見てきましたが、カントやヘーゲルのような大哲学者はそんな思いつきに留まっているわけがないとか、きみとは思考の深さのレベルが違うと言いたいのですが、なかなか言いにくく、というか当人にはもはや伝わりにくく……とはいえ、ついに耐え難くそれらしいことを仄めかすと、私の「権威主義的態度」に裏切られた気持になって(時にはステゼリフを残して)塾から遠ざかってしまうのです。

これが柔道や剣道の道場でしたら、新参者といえども先生を打ち負かしてしまえば、それを認めないわけにはいかないのですが、あるいは実験科学のような世界でしたら、駆け出しの研究者が先生より先に客観的な成果を上げてしまえばいいのですが、哲学のような言語だけが頼りの世界ではそうはいかない。真理の基準がはっきりしておらず、客観的真理があるかどうかも定かではない。

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