瀬戸内寂聴さんがかつて「意見広告」を出した背景 反武力という自分の意思を自分のお金を投じて
変わりゆく時代を、先生の随想から感じることができる。ただ一つ変わらないも の、それは先生の思想である。いつどんな時でも、先生は作家として書き続けるのをやめなかったし、命の尊さを伝え続けてきたのだ。先生がどこにも遠慮せずに想いを書き綴った想いがここにある。 (解説「変わりゆく時代に、変わらない先生の強い想い」瀬尾まなほ)>
意見広告を出して
三月四日、私は、朝日新聞に意見広告を出した。株式欄の下段三段に、それは載り、余白が多く、大きな活字で、目立つ広告になった。
意見広告とは、広辞苑によれば、
「団体あるいは個人が主義・主張を社会に訴える広告」
とある。私はもの書きになって以来、自分の本の広告を、出版社が出してくれるので、新聞の広告欄は、新聞を開くと、まず最初に目を通すくせがついている。
自分では一銭も金を出さないので、
「あの出版社は大きな広告を出してくれるから、よく本が売れる」
「あの社は、ちっとも広告を出してくれないので、売れない」
などと、勝手な文句を言っている。揚句の果てに、今朝の広告の顔写真はみっともない顔などと、フンガイしたりする。どう見たって、それは自分以外の人の顔ではないので、ひとり笑ってしまうのだけれど。
その新聞広告に、初めて自分でお金を出してみて、その高額さを、初めて実感として体得した。自分で支払える上限ぎりぎりがあの大きさであった。
なぜそんなことをしたか。断食に体調の自信がなくなったので、その代りとして自分の反戦の意志を発表するためである。
なぜ、今、自分の意志を発表しなければならないか。仏教徒として、作家として、それはなさねばならぬ義務であると信じるから。