大久保利通が実行「反対されず改革進める」大胆技 本来なら反発必至「版籍奉還」が順調に進んだ訳

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大久保利通の改革手法について解説します(写真:road/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第28回は、大久保が成し遂げた「版籍奉還」について解説する。
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<第27回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた。
得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲うが、実務能力の高さをいかんなく発揮し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ、引き分けに持ち込んだ。
勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しにあっていた西郷の復帰だった。復帰後、西郷は勝海舟と出会い、それまでの長州藩討伐の考えを一変。坂本龍馬との出会いを経て、薩長同盟を結び、大久保と西郷は倒幕への動きを加速させる。
武力による倒幕の準備を着々と進める大久保と西郷。ところが慶喜が打った起死回生の一策「大政奉還」に困惑。さらに慶喜の立ち回りのうまさによって、薩摩藩内でも孤立してしまう。
一方、慶喜もトップリーダーとしての限界を露呈し、意に反して薩摩藩と対峙することになり、戊辰戦争へと発展。その後、西郷は江戸城無血開城を実現し、大久保は明治新政府の基礎固めに奔走する。

真意を悟られずに改革を既成事実化する

明治2年1月14日、大久保利通は京都丸山の料亭にいた。向かい合って座るのは、長州藩の広沢真臣と土佐藩の板垣退助である。話の内容は、誰にも聞かれるわけにはいかなかった。必ず物議をかもすことになるからだ。

明治維新では、数々の抜本的な改革が行われていたことを、私たちは知っている。だが、渦中である当時の人々がその真意をすぐに理解したわけではない。本来ならば、ビジョンを広く伝えて、改革の目的をつまびらかにしたうえで、みなに理解を求める。それが理想ではあるが、現実主義者の大久保が、そんな方法をとるはずもなかった。

やったことはむしろ逆の「いかに真意を悟られずに、改革を既成事実化するか」。つまりは、だまし討ちである。

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