「男性公務員→女性釣り師」に転身した驚きの半生 50歳にして大阪の漁港で「遊漁船」のオーナーに
ブラックバスではトッププロになれなかったが、いつしか、タイラバでは知らぬ人のいない存在になっていた。
若かりし頃の自分が憧れたようなアングラーになった田中が、「仕事を辞めて、好きな釣りで生きていきたい」と思うようになったのは、2016年頃。タレントのようにメディアに出続けたいということではなく、自分の遊漁船を持って、お客さんを乗せて釣りをしたいと思うようになっていた。
50歳にして独立
しかし、遊漁船を置いていいという漁港を探すのが難航。3年、4年経っても見つからず、諦めかけていたとき、関西国際空港が目の前にある田尻漁港で活動する漁協の組合長と出会った。
「ダメもとで相談したら、ええよって言ってくれて。なんで?って聞いたら、うちは漁師としてやっている人が少ないし、外からお客さんに来てもらうように朝市や釣り堀をしているから、ぜひぜひって。しっかりお客さん呼んで、田尻漁港のことを知ってもらいたいと言われました」
これでもう、障壁はなくなった。公務員という安定した仕事にも、未練はなかった。田中は、職場の上司に「遊漁船をやることにした」と辞意を伝えた。長年一緒に仕事をしてきた上司は「大丈夫?」と心配してくれたが、迷いはなかった。
2021年5月、50歳にして遊漁船サービスをスタートすると、メディアを通して田中を知る釣り好きたちが大勢、訪ねてくるようになった。取材に行った日も、何本も問い合わせの電話がかかってきていて、繁盛しているようだった。ジャッカルとプロ契約を結び、メディアでも活躍を続けている。
40歳で男性から女性になり、タイラバで引っ張りだこになり、公務員を辞めて、プロのアングラーとして遊漁船のオーナーに。ジェットコースターのようなこの10年を、田中はこう振り返る。
「私は何回も石橋を叩くタイプだから時間がかかったけど、なに1つムダはなかったし、遠回りも楽しかったな、と。回り道したからこそ、見えてくるものもあるし。しんどくて胃が痛いこともいっぱいありますよ。だけど、いろんな人に出会って、好きじゃなかったら絶対にできない仕事に巡り合えたのは幸せなことですね」
小さな頃から海で泳ぐ魚の絵を描き続けていた少年は今、女性として釣りをなりわいにしている。自分でも予想がつかないような人生を歩んできた田中は、ときどきお客さんにこういう話をする。
「なんでも人に聞いたらあかんねん。面白くないやん。めいっぱい自分でやってみて、失敗して、恥ずかしいと思ったとしても、それを受け入れる気持ちがあれば、前へ進むんじゃないんかな」
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