「男性公務員→女性釣り師」に転身した驚きの半生 50歳にして大阪の漁港で「遊漁船」のオーナーに
震災を機に一念発起した田中は、かつてないほど釣りと真剣に向き合い、NBCのトーナメントで好成績を連発。1年で念願のバスプロになると、さらにそのうえ、バスプロのなかでもほんの一握りしか出場できない「JB TOP50シリーズ」を目指し、全国を転戦した。
しかし、どうしても手が届かない。なにをどう頑張っても、トップ50人の枠に入れない。1995年から、仕事以外の時間のすべてを懸けてブラックバスだけを追う生活をしてきた田中は、6年後の2001年、引退を決意した。
最終戦を終えた日、田中は中学時代に初めてブラックバスを釣った池に向かった。糸を垂らしたとき、悔しさより清々しさ感じた。魚群探知機をにらみ、他人から評価されるために大きな魚を狙うのではなく、ただ自分の楽しみのために釣りをする。6年ぶりのその感覚に浸っていたら、グググッと強烈な当たりがきた。プロの手際で釣り上げたブラックバスを見たとき、田中は新たな門出を祝されているように感じた。
「今日でトーナメントはピリオドだったけど、原点に戻っただけ。私の釣りはこっからやで」
明石の海での出会い
バスプロを辞めた田中はその後、趣味として海釣りをするようになった。そして2003年頃、タイを釣るための専用ルアー「タイラバ」を使った釣りに出会う。タイラバとは、鉛玉にタイの目を引くためのひらひらした派手なラバーがついたシンプルな仕掛けだ。
「タイラバは、もともと漁師の漁具だったんですよ。だから、当時は一般的には知られていませんでした。漁師さんの船で初めて見たときは、こんなもんでタイなんか釣れへんやんと思ったんですけど、試しにやらせてもらったら、これが今までやってきた釣りとぜんぜん違って面白くて! それで一気にタイラバにはまりました」
ブラックバスや青物と呼ばれるサバ、カツオ、ブリなどは歯が少なく、獲物を吸い込む。だから、「当たり」が来たときにはグイっと竿を引き、針を口に引っかける。一方のタイは鋭い歯を持っていて、獲物にかみつき、食いちぎったカスを食べる。そのため、食いついた瞬間に竿を引くのではなく、しばらくかみつかせておくと、ふとした瞬間に針がかかる。長年釣りをしてきた田中にとっても初めて体験する釣り方で、新しい釣りをイチから学べることが楽しかったと振り返る。
それからは兵庫県明石市の海に通って、タイ釣りばかりするようになった。当時は漁師以外でタイラバを使っている人は少なかったから、珍しがられたそうだ。その頃ちょうどタイラバの開発をしていた新興釣り具メーカー・ジャッカルの創業者、加藤誠司さんと現社長の小野俊郎さんとも明石の海で知り合った。2人はもともと著名なバスプロで、田中のことを知っていたこともあり、とんとん拍子でジャッカルのテスターをすることになった。
「一緒にやらへんって言われたときは、え、? いいの!?ってビックリしましたよ。だって、あれだけブラックバスを頑張っていたときには話をしたこともなかったから。世の中ってほんとうに運やなって思いました」
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