「男性公務員→女性釣り師」に転身した驚きの半生 50歳にして大阪の漁港で「遊漁船」のオーナーに

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「あれ!? このままいけるんちゃう?」

なにを言われても、どんな態度を取られても傷つかないように身構えていた田中は、肩透かしを食らったような気持ちになった。同時に、固く閉じていた窓を開け放ったら、爽やかな春の風が吹き込んできたような解放感を感じた。

40年間、男として生きてきた田中は、この日から女性として新たな人生を歩み始めた。この決断が、のちに彼女をプロのアングラー(釣り師)に導くことになるとは、誰も想像していなかった──。

幼少期から魚好き

20歳の頃から公務員として働いていた田中には、もう1つ、釣り師としての顔があった。兵庫県西宮市で生まれ育った田中は小学4年生の頃、地元の友人に誘われたがきっかけで、釣りに夢中になった。

「幼稚園の頃から、なぜかずっと魚の絵を描いていたんですよ。海のなかでいろいろな魚が泳いでいる絵を、1人で毎日のように描いていました。そういう子だったから、初めて近所の川に釣りに行ったときに小魚がたくさん釣れて、面白い!って。商店街におばあちゃんがやっている小さな釣具屋さんがあって、そこで糸や浮きなど買いそろえて、学研の『釣り入門』を見ながら仕掛けの糸の結び方を何度も練習しました」

それから釣りに通うようになって、気づいたことがあった。釣りは、運じゃない。よく観察すると、川のなかにも魚がたくさんいる場所がある。そこを狙うと、たいていよく釣れる。

その頃、田中の周りで遊びといえば「広場で野球」が定番だったが、田中は野球が得意ではなく、「野球に誘われるのがいちばんイヤでした」。子ども心に劣等感を抱くなかで、「魚釣りなら、工夫次第で人に勝てるかも」と思うようになり、より一層、釣りに没頭するようになった。

中学、高校時代はブラックバスを釣る「バス釣り」にはまった。神戸のプロショップでアルバイトをしながら、少しでもうまくなろうと大人たちの話に耳を傾けた。このショップで、バス釣りのプロに出会った。ある日、その人から誘われて、琵琶湖にバス釣りに行った。初めて本格的なバス釣り専用ボートに乗せてもらった田中のテンションは、これ以上ないほどに高まった。

しかし、いざ釣りを始めると、プロの実力に圧倒された。驚くべきペースで釣り上げ始めたのだ。当時、同年代と釣りに行くと魚の大きさや重さ、数で負けることが少なく、多少の自信を持っていた田中はレベルの差に愕然とした。そのとき、負けず嫌いの血がふつふつと沸き立った。

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