「男性公務員→女性釣り師」に転身した驚きの半生 50歳にして大阪の漁港で「遊漁船」のオーナーに

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間もなくして熱心な釣り好きの間でタイラバが話題になるようになり、いち早く取り組んでいた田中も注目されるように。出版社からの依頼で、釣り雑誌で連載も始めた。「タイラバの面白さを知ってほしい。釣り業界でタイラバというジャンルが大きくなってほしい」と、毎回、原稿用紙15枚、20枚も原稿を書いて送った。そのうちに、ジャッカルのホームページでもコラムを書くようになった。

しかし2008年頃、田中は釣り業界から急にフェードアウトした。雑誌の連載が止まり、ホームページのコラムも更新されなくなった。通い詰めていた明石の海でも、姿を見かけなくなった。

なにが起きたのか? 田中のなかにずっと眠っていて、時には見て見ぬふりをしてきた「女性としての自分」が覚醒したのだ。

田中の言葉でいう「乙女な部分」を意識するようになったのは、中学1年生の頃だった。ブラスバンド部のちょい悪な先輩に、ほのかな恋心を抱いた。ただ、自分の性がまるっきり女性だという感覚はなく、女性を好きになって付き合ったこともあるし、31歳のときに結婚もしている。

「LGBTにも、いろいろな人がいると思うんです。男に生まれたけど女やったらよかったというカテゴリでいうと、私は女と男の割合が6:4ぐらいだと思うんですよ。だから、男も女も素敵な人だと思ったら好きになるし、結局どっち? と言われても、決められへん」

2008年まで男性として生きてきた田中だが、あるとき、ずっと前から抱いていた化粧をしたい、女性の服を着てかわいくなりたいという気持ちをガマンするのがイヤになった。

まずは、妻に打ち明けた

同じ頃、トランスジェンダーを公表しているタレントのはるな愛さんが活躍するようになり、背中を押された部分もあったかもしれない。まずは、妻に打ち明けた。当然、青天の霹靂(へきれき)だったろう。しかし、最終的に妻は田中の気持ちを受け入れ、離婚もせず、一緒に暮らし続ける道を選んだ。

次に実家の家族、その次に身近な友人と、少しずつカミングアウトしていった。誰もが驚いたが、それで離れていく人はいなかった。こうして少しずつ、女性としてメイクをしたり、ファッションを楽しむことができるエリアを広げていった。トランスジェンダーとして恵まれた環境だったのは、「女と男の割合が6:4ぐらい」だったことも影響しているかもしれないと、田中は言う。

「私が手術で声色やしゃべり方を急に変えたら、なにそれ、別人!?と思われていたかもしれません。でも、そこはとくに気にならなかったので、いじりませんでした。そうしたら、周りからは『しゃべってたら、前となにも変わらへんな』と言われて。そこが受け入れられたポイントかも」

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