「震災」を機に会社を辞めた人たちの思い 働かないオジサンは「死ぬこと」と真摯に向き合うべき

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 震災をきっかけに転身した人が多かった

話を聞き始めて驚いたことは、転身のきっかけとして阪神・淡路大震災のことを語る人が多かったことだ。

兵庫県西宮市のそば店の店主、Yさんは、鉄鋼会社で33年間働き、51歳で早期退職して、そば打ち職人になった。震災では、自宅は何とか潰れなかったが、住んでいる周りの街並みは一変して、亡くなった人も多かった。

被災直後は、家の中がぐちゃぐちゃなのに工場に泊まり込み、窯を守った。倒れた煙突の横にある、抜け落ちた工場の天井から夜空を見上げ「10年後、60歳になった自分の姿がまったく見えない」と強く感じた。

放送記者からプロの落語家に転じたTさんは、大学時代は落語研究会の活動に熱を入れすぎて留年するほど落語が好きだった。入社後、5年ほどして「自分の仕事は誰かの役に立っているのだろうか」と疑問を持ち始めた。落語への未練がよみがえり、落語家の師匠に手紙を書いて相談に行った。楽屋近くの喫茶店で師匠から、「食えないから。やめときなさい」とコンコンと諭された。

最後に「よく考えてみます」と言って別れた。その頃は、仕事があまりに忙しかったので、自分がおかしな行動を取ったのかもしれないと思った。

その3日後、あの震災が起きた。弁護士志望だった大学の後輩が、家の下敷きになって志半ばで亡くなった報道にも接した。ひとつ間違えば自分も死んだかもしれない。「1回きりの人生、悔いを残してよいのか」と思い、震災の取材が一段落した時点で退職願を提出した。落語家としてはとても遅い、30歳を目前にしたスタートだった。

このほか震災を経験して、「外面を繕う華美な世界から離れて、地に足をつけたことに取り組みたい」と考えて、服飾メーカーの部長職からNPO役員に転身した人や、震災に伴うリストラで勤めていた会社を解雇になり、中年になって喫茶学校に通い、喫茶店を開業した人などがいた。

震災に遭遇した話の2つのポイント

阪神・淡路大震災に遭遇して転身した人の話は、大きく分けて2つのポイントがある。ひとつは、誰かのお世話になったということ、もうひとつは、死ぬこと、生きることを真剣に語ることである。

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