「悪口や愚痴を言わない人」が実は危険である理由 怒りには「現実と感情」で対処を切り分けよう
でも、私たちにとって、怒りが発動したら「相手の悪口を言いふらしたい」というのは、ごく自然な心の動きです。
もしサービス窓口や店、または会社などで、何らかの不当な扱いを受けた時、私たちは「こんな扱いをされた!」と訴えたくなるでしょう。怒りの声をあげて、相手にクレームをつけることもあります。一人のカウンセラーに打ち明けたところで、到底おさまるものではないのです。
ではなぜ、私たちは怒ると「悪口を言いふらしたい」のでしょうか?
私たちが原始人だとして、「怒り」の感情の本質を考えてみましょう。
誰もが怒ると悪口を言いふらしたくなる、本当の理由
原始人はつねに飢えて、猛獣や他の部族との命の取り合いの中で生きてきました。
「怒り」とは、「敵に威嚇、反撃する」ための本能です。この感情(本能)があるから、自分よりも強いかもしれない敵に立ち向かい、生存競争に勝つことができたのです。
また原始人にとって、戦いとは人数勝負。自分サイドについてくれる人数が多いほど、勝って生き残る公算が高まります。そこで「一人でも多く、早く味方につけたい」と考えます。
だから戦いの場で「怒り(本能)」が発動すると、「自分はいかに不当な攻撃をされたか」「相手はどんなに邪悪か」「今度どんなひどいことをしてきそうなのか」などを話し、広く同情を得て、自分の味方をたくさん募りたがるのです。
現代人の私たちにとっても、怒りの出来事があった時に「この無念さ、悔しさ、痛さをわかってほしい」と思い、多くの人に訴えたくなるのはごく自然なこと。決して恥ずべきことではありません。
本当に味方になってくれる人が現れると、スーッと落ち着いてきます。怒りとは心と体を戦闘モードにセットする感情なので、落ち着けば、心の武装解除も進みやすくなります。友人にコトの顛末を聞いてもらったり、愚痴ったりする「味方工作」は、心に大変効果があるのです。
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