源平合戦で木曽義仲の活躍支えた「謎の参謀」正体 文武の達人「大夫房覚明」とは何者なのか
平氏の北陸追討軍を破り、篠原の戦いにも勝利した義仲軍は、破竹の勢いで京都を目指して進軍する。だが、上洛を目前に控えた義仲が悩んでいたのが、比叡山延暦寺とどのように向き合うかということだった。
「木曽義仲は、越前国の国府に着くと、家の子・郎党を集めて、評定した。そしてこう言われた。『さて、この義仲、近江国を通って都に入ろうと思うが、例の山法師どもがこれを妨げるかもしれぬ。撃破することは簡単だが、今、平家が仏法をはばからずに寺を滅ぼし、僧侶を殺害し悪行を重ねているときに、比叡山延暦寺の大衆に戦を仕掛けることは、平家の二の舞になりかねん。これこそ、たやすく見えて重大な問題よ。どうすればよいか』」(『平家物語』を筆者が現代語訳)
滅ぼすのは容易だが、それをすれば、平家の二の舞となり、人々の怨嗟の的になる。悩む義仲にアドバイスしたのが、書記の大夫房覚明であった。
比叡山に書状を送って動向を探った
覚明は「山門の衆徒は3000。なかには源氏につこうと思う者もいれば、平家に加勢しようと考える者もいるはず。ここは、牒状(書状)を送ってみてはどうか。山門の動向はその返信にてうかがえるはずです」と助言。比叡山に牒状を送るのである。
そこには、平家の悪逆(皇位を支配し、国郡を掠奪)が記されると共に、義仲の精強さがアピールされ、さらには「天台の衆徒は平家に同心なのか、源氏の味方するのか。もし戦をすれば叡山は滅亡しよう。よって、源氏に加勢をお願いしたい」と脅迫的言辞を交えつつ、叡山に屈服を迫るのであった(『平家物語』)。
比叡山の大衆の意見は実にさまざまであり、混乱を極めていたので、老僧が協議し「平家の悪行は度を越えている。すべての人が平家に背を向けている現状だ。平家とのよしみを断ち、源氏に加担」することを決意するのだ(『平家物語』)。
しかし、実際には、比叡山の上層部は「源平両氏、和平あるべし」という考えを持っていたようだ(『吉記』)。この和平提案を朝廷が採用しなければ、源氏に加勢する考えを示していた。延暦寺は皇城鎮護の寺であり、その住職(天台座主)は公家の子弟も多かったことから、朝廷の意向も仰ごうとしたのだろう。
さて、覚明は牒状を送るのみならず、比叡山の有力者に働きかけ、比叡山での評議が有利になるように工作していたという(『源平盛衰記』)。覚明は若きころ、比叡山で出家したので、旧知の者もいたはず。その縁故を利用したのである。
一方、平家も比叡山を味方につけようと一門の者10人が連名で願書を送る。これは『平家物語』のみならず『吉記』にも「平家の公卿10人連署(中略)起請状を書き」とあるので、事実と考えられる。だが「わが一門を哀れみくださり、3000の衆徒が平家に力を合わせるように」との懇願を比叡山の大衆が受け入れることはなかった。
平家の命運は、傾きかけていた。
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