アディティア・ビルラ・グループの事業はさまざまな部門に広がっており、ビルラ・グループだけでインドの多様な産業を代表しているかのような財閥だ。
ビルラ一族は、インドで最も有名な産業界の資産家の家柄のひとつ。一族の富の発端は19世紀後半にある。1870年、セス・シヴ・ナラヤン・ビルラ氏(Seth Shiv Narayan Birla)が、ラジャスタン州ピラニに綿およびジュートの取引ビジネスを始めた。英国占領下でもあり、英国企業が独占をもくろんでいたが、ビルラは一族の最初の富を築くことに成功した。
インドが独立への歩みを進めるにつれて、ビルラ一族は、1919年にジュート工場を設立するなど、産業部門での基盤を築いていく。ビルラ一族は、マハトマ・ガンディー率いる独立運動の重要な支援者であった。独立前の時期を通じて、ビルラ一族は、国家指導者達のスポンサーの役割をはたしていた。
従業員13万人の大企業に
現在のアディティア・ビルラ・グループは、多角化したコングロマリットとなっており、2014年度の売り上げは約450億ドルに上る。72社を超える製造業およびサービス業を営む子会社の親会社であり、それらの子会社は、40以上の国で事業を行い、従業員は13万人以上いる。ビルラ・グループは、事業領域を多角化させ、ビスコース短繊維、ビスコースフィラメント糸、金属、セメント、ブランドアパレル、炭素製品、化学製品、肥料、絶縁体、金融サービス、電気通信、BPO(業務アウトソーシング)サービス、ITサービスなどの部門がある。
インドが「ライセンス・ラジ(民営よりも公営の企業が優遇されるシステム)」の時代だった頃に、ビルラ・グループは、ほとんどが東南アジア諸国で国内の問題に取り組むことで成長・拡大した。
グループの多角化および国際化のひとつの例は、UCO銀行の設立だ。1942年に設立したUCO銀行は、インド国内の支店を314カ所に拡大しただけでなく、1969年までにロンドン、マレーシア、シンガポールおよび香港を含む8カ国で事業を営むまでに拡大した。1959年にはエチオピアで繊維工場を、1964年にはナイジェリアで工場も設立し、1970年には運営する企業は200社を超えた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら