子どもが小さいうちは単身赴任を避けよう 夫のもとへ行き、家族で住んだほうがいい

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その後はプノンペンで、子供たちのためのパソコン教室を開いたり、貧しい農村で雑貨工房を開いて雇用創出し、子供を売らなくてもよい家庭、子供を学校へ通わせることができる家庭を沢山作ることに貢献するなど、この10年間めざましい活躍をしてこられました。

記事で彼女は、次のような趣旨のことを言っています。「私たちが、日本がもっと貧しい時代に生まれていたなら家族を養ったり、冷蔵庫を買ったりエアコンを買うために、働かねばならなかった。でも(今の時代では)これ以上モノを手に入れても、幸せになるとは思えない。おカネやモノ以外の幸せを模索している世代といえる。そんな中で、社会をよくすることを人生の目標とする人たちが、出てきたのではないか」

村田さんのお父様はボランティアに熱心で、とても理解のある人なのですが、彼女の進路選択には大反対されました。彼女は「買われる児童を救いたい」というその一心で、家族を説得し、前に突き進んだそうです。社会をよくするための貢献が彼女の人生の目標となりました。

大学までは、東京と地方の学習環境に大差はない

麻井様、貴女の子供さんたちが成人される頃には、勉強する目的も幸福の感じ方も、ますます多様化しているでしょう。あるいは親の願いとして何が何でも一流大学から大企業を目標に勉強させたい場合でも、よほどの過疎地に行かない限り、大学受験への学習環境という意味では、東京も地方も、人生が変わるほどの条件の差があるとは思えません。(大学以降は首都圏が有利なのはそのとおりだと思いますが)

大学受験に向けた学習内容は学校は全国同じで塾も似たようなものですし、地方でも熾烈な競争をして成績を争っています。東京の一流大学合格者の割合が、東京と地方でどのくらいかは知りませんが、地方出身者もそうとうですし、東京でも小さな塾が合っている子、地方でも大きな塾で伸びる子などそれぞれです。大きな犠牲を払ってでも東京にしがみついている理由がみあたりません。次に「大きな犠牲」について考えてみたいと思います。

「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があります。この意味は本来、他人同士がひとつ屋根の下で起居を共にし、苦楽をわかちあったことで親しい仲になった、という意味だと思います。他人同士でも、同じ釜の飯を食うという日々の積み重ねが、特別に深い関係をもたらすというのです。家族なら1年の大半を、別の釜の飯を食っていても、問題はないでしょうか。

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