歴史教科書で徳川綱吉の記述が変わった背景事情 お笑い芸人と歴史研究家がわかりやすく解説

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当然、幕府は「そんな実態のないギャンブルみたいな取引認められるか!」と、帳合米取引を禁止していたんですが、吉宗、これ認めちゃいます。米価を安定させるため(引き上げるため)には、米に対する需要を高める必要があると、なんと大坂の市場を公認したのです。

これらのおかげで、幕府の財政収支で言うと、米、金ともに黒字に転じて、江戸城の御金蔵には100万両の蓄えができたと言います。さらに、延享元(1744)年に幕府領は460万石を超えて、年貢収納量は180万石を達成。江戸時代を通じての石高と年貢量の最高をたたき出したとも。

ならば、享保の改革は成功した改革なのかというと、実は賛否両論なんです。たしかに享保期の幕府財政は好転しました。が……「上米の制は、各藩に頼って幕府の権威を低下させた」「年貢増徴の政策は、農民に負担を強いるもので一揆が頻発した」など(ほかにもたくさんありますが)、米にまつわる政策ではいろいろと叩かれてるんです、吉宗さん。

んー吉宗さんがとてつもないやり手だったというのはたしかなのですが……みなさんはどう思います?

河合先生、吉宗さんと同じくらい知名度が高く、同じように〝犬公方〞のあだ名を持っていた徳川綱吉さんは、改革者としてどうなんでしょう?

河合氏が解説、綱吉の評価「ビフォーアフター」

房野さん、あなた、すでに将軍綱吉の評価が大きく変わっているのを知っていて、わざと私にこの質問を投げましたね。実際に私の著書や連載している雑誌では、何度も同じような話は書いています。また、NHK総合『歴史探偵』という番組では、綱吉の評価が変わったという授業までしちゃいました。とはいえ、リクエストとあらば、その期待にお応えして綱吉ビフォーアフターの話をしていきましょう。

まずは犬公方の綱吉と言えば「生類憐みの令」ですね。これは一度きりの法律ではなくて、20年以上にわたって、百数十回発令された動物愛護に関する法律の総称を言います。

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