玉塚社長、「挫折から再起」の全てを語る! ユニクロでの挫折、再起誓うローソン

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――実際ユニクロに入ってからはどんなことをしていたのか。

前半戦はすごい急成長のときで、年商1000億円が4000億円になった。それを支えるためには、物理的に店を出して、店長を育成して、工場を確保して・・・システムも物流もパンクするし、走り回って支え続けたという感じ。

例えば僕は当時、山口に住んでいたが、土日には東京の品川プリンスホテルを10部屋くらい予約して、人材紹介のエージェンシーを20社くらい集めて、土日に朝から晩まで面接をしていた。「マクドナルドで店長やってた? OK! 根性ありそうじゃねぇか」といった、具合で採用していた。なんせ入れないと、成長に追いつかないし、僕も休めない。もう何人採用したかわからない。

あとは「この物流、全部やり直してください。玉塚くんがリードして」といった具合で指示が来て、じゃあどうしよう? こうしよう。すぐやれー、すぐやれー。これの繰り返しです。

フリースブームと、その後と。

――フリースブームは当時マーケティング部長だった玉塚さんが仕掛けた部分もあるのでは。

ユニクロはその時代を切り取る鏡だった。(12年、グローバル旗艦店である銀座店のオープンで。撮影:風間仁一郎)

当然、一部分はね。ブランディングを全部変えて、販促の投資先を変えてとか。走りまくって火を消し、エンジンに油を注ぎ―それが前半戦。

でもそこから急降下が起こる。”ユニバレ”(注:ユニクロを着ているのがバレて恥ずかしいという風潮)が起きてどんどん急降下していく。ユニクロはSPA(製造小売業)なので、うまくいっている時はいいんだけど、業績が厳しくなってくると、リードタイムがあるので生産を止められない。すると店頭では、いっつも同じ商品が安売りされている状態になる。それでお客さんが離れていき、どんどん負のスパイラルに陥る。

――澤田さんも「フリースブームが終わった頃は相当怖かった」と言っていた。

 当時彼は副社長だったから、その責任を取らなければいけないし。そのプレッシャーで、やっぱり心身ともに燃え尽きたんだと思う。それで彼がユニクロを辞めることになったんで、僕がやってくれっていう話になった。(注:柳井氏は当初、澤田氏に社長職を譲るつもりだったが、澤田氏がこれを断ったため、玉塚氏が社長に就任した)。

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