玉塚社長、「挫折から再起」の全てを語る! ユニクロでの挫折、再起誓うローソン

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たまつか・げんいち●1962年生まれ、52歳。実家は玉塚証券(現みずほ証券)の創業家。慶応大学卒業後、旭硝子や日本IBMを経て、ファーストリテイリングに入社し、2002~05年まで同社社長。10年にローソン入社、14年から社長。

今考えても、顔が真っ赤になるくらい、恥ずかしいプレゼンを僕はした。あんな立派な商売をしている方に、僕が偉そうにプレゼンするわけですよ。

でも澤田の推薦もたぶんあったと思うが、柳井さんは興味を持ってくれて。「商売ってのはコンサルとかMBAとかじゃできないんだ。場末に自分のなけなしのカネで店を出し、一生懸命商品並べてシャッターを上げるんだけど、誰も来ない。繰り返し胃が痛むくらい、そういうことを経験しないと、商売なんか覚えられないんだ!」って説教してくれたんですよ。

僕は脳天をカチ割られるくらい衝撃を受けた。この人のもとで仕事をしたら、自分がやりたい商売が見つかると思った。だからでっち奉公で、柳井さんのもとでユニクロ店長として教わろうと、そんな感じで飛び込んだ。だから別に役員になれるとかいう約束も何もなかった。

家族はユニクロ入社に反対

――それでIBMをわずか半年で辞めてユニクロへ移った。でも、当時のユニクロは今とまったく違い、知名度もない。規模も大きな差があったと思うが、気にはならなかったのか。

 家族にはものすごく反対された。当時のユニクロって、アディダスとかリーボックのTシャツを売っていた時代。山口県が本社のジーパン屋ですよ。年商700億円くらいだったかな。でも僕は柳井さんには本当に衝撃を受けた。すごく理路整然と、でも謙虚に「こういう仕組みをつくればアパレル業界に革命を起こせる」と話す。

全身ユニクロを着て立ち食いそば食ってみたいな魅力的な人。澤田も尊敬していたし、柳井さんのもとで修行して、その後自分でやる商売を決めようと思った。まずは店長として徹底的に柳井さんのエキスを吸ってみようと思った。

でも僕が入った頃から、ユニクロが急激な成長を始めて、結局、店で働いたのは3~4カ月。その後は山口の本社へ行って、「あっち手伝ってくれ、こっち手伝ってくれ」と言われる状態だった。その延長線で社長やってくれ、みたいな(笑)、あっという間の7年間だったけれど、20年間くらいいた気がする。7年間で商売の原理原則、経営っていうのはどうあるべきか、叩き込まれた。あの7年間がなかったら、今の僕はいない。

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