玉塚社長、「挫折から再起」の全てを語る! ユニクロでの挫折、再起誓うローソン

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もう一度冷静にお客さんを見て、やることをちゃんとやれば大丈夫だと思った。急成長していたときには驕りがあった。それを正していけば、必ず戻れると強く信じていた。それで業績が底の時に、僕が(ユニクロ社長を)受け継いだ。

今でも覚えているけど、僕が入社した年に開けた原宿店は当初、行列ができた旗艦店だった。その原宿店に社長就任前後、ピークタイムである土日の午後3時くらいに入店した。そうしたら一人もお客さんがいない。店員が「いらっしゃいませ」って言っているだけで、棚に商品が積んであって…足が震えた。

社長として大きな絵を描けなかった

ユニクロ時代、玉塚氏の社長職を解任した柳井氏。これに対し玉塚氏は「志半ばで辞めた思いはない」と振り返る(撮影:今井康一)

――一度は社長職を譲った柳井さんが復帰することになり、玉塚さんは3年で社長を解任された。外から見ていると不本意だったように見えるがどうか。

COO(最高執行責任者)として、やることはやったと思う。例えばもう一度お客様の声を徹底的に聞こうってことで、何百人という人をインタビュールームに招いた。するとやはり女性の不満がものすごい多かった。

フリースブームが去る前は「パパもママもおそろいのフリース」とか言っていたが、ブームが冷めたら、「何であたしがメンズのチャックで、ぼてっとしたシルエットのフリースを着なきゃいけないの?」って。確か女性専用商品の比率は当時15%くらいだった。このまま女性が離れたら大変なことになると思って一気に比率を上げた。

ただ柳井さんからすれば、もっと大きい絵を描いて、もっとファーストリテイリングが世界に飛躍するような大胆なビジョンを明示してほしかったと思う。それは全くできていなかった。この危機的な状況を何とか成長軌道に戻し、社員のモチベーションを高めたり、商品構成を変えたり、ということはある程度やった。けれど成長軌道に乗ったあとは、もっと大きいビジョンやチャレンジが求められていたのだけれど、それを示す能力は、あの時点ではなかったと思う。志半ばで辞めたという思いはない。

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