玉塚社長、「挫折から再起」の全てを語る! ユニクロでの挫折、再起誓うローソン

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「経営とは振り子を振り続けること。新浪さんの振った振り子を、僕は立ち位置を変えながら経営していく」。玉塚氏は今後ローソンをどう具体的に率いていくのか(撮影:尾形文繁)
 小学校から大学まで慶応へ通ったお坊ちゃん。卒業後は旭硝子、日本IBM、ユニクロと、大企業を渡り歩き、米国でMBA(経営学修士)を取得。英語も堪能。181センチメートルの長身に、ラグビーで鍛えた大きな体――そんな誰もがうらやむ華やかな経歴を持つのが、玉塚元一・ローソン社長だ。
 だが、玉塚氏も、挫折がなかったわけではない。ユニクロでは、柳井正会長の期待に応えきれず、3年で社長の座を去った。そんな玉塚氏がローソン社長に就任したのは半年前。その後、映画館や成城石井の買収、アマゾンとの提携など、次々と新たな戦略を発表している。
 ローソンはどこへ向かうのか。そしてなぜユニクロを去ったのか。そのすべてを玉塚氏が語る。

将来は自分で商売をやりたかった

――まずユニクロ(ファーストリテイリング)に入ったきっかけは。

少し話がさかのぼるが、米国留学していた頃、ジーパンはいてキャップをかぶった3000億円の会社を作った若手の経営者が来て、「この商品、この会社で、社会をよくするんだ」と言われた時に、ものすごい衝撃を受けた。そのときの日本経営のイメージって、黒塗りの車で夕方6時には料亭に行って、実務は下の人にやらせる、みたいな(イメージだった)。今は違うと思うけれど。それで、これは勝てないなと思った。

あと旭硝子にいて、シンガポール時代に過ごした4年の間、いろんな事業を開拓したり、途中でM&A(企業の合併・買収)もしたりして、経営や商売って面白い、こういうことをしていきたいと思った。

でもこのまま旭硝子にいたら、経営に携わるには、あと20年くらい待たなきゃいけないじゃない。それなら一回飛び出して、小さくてもいいから早くやらないと。

できるかできないかはわからないけれど、将来自分で商売をやりたい、という思いがとてつもなく起こってきて、当時の旭硝子社長に話をした。そうしたら「チャレンジしてみろ。でも(だめだったら)いつでも帰ってこい」って言ってくださって。それで涙を流しながら、旭硝子を去ったんだけど、先立つものがなかった。たまたま日本IBMに拾ってもらい、営業で4社目に行ったのがユニクロだった。澤田(澤田貴司・リヴァンプCEO兼社長。当時はファーストリテイリング役員で、以前から玉塚氏とは懇意にしていた人物)に仕組まれたんだけどね。

そこで柳井さん(柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長)とお会いした。

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