人の表情が輝いたり、魅力的になるのは、収入や相対的な地位とは関係がないのだろう。
サラリーマンは、会社や上司が求める「あるべき姿」に自分を合わせにいこうとするが、子どもの頃の私の周りの商店主は、自分の足でしっかり立っている強さがあった。
その頃の商店主は、勤め人のことを「月給取り」と呼んでいたが、少し揶揄するニュアンスもあったと思う。
サラリーマンは仕事の実感が得にくい
最近、学生時代の友人たちと会う機会があった。50歳を超えた頃から、こういう集まりが増えている。サラリーマンや公務員になった人もいれば、親の商売を継いだ商店主やフリーランスで仕事をしている同級生もいる。
お互い話していて感じたのは、小商いの商店主やフリーランスの友人のほうが、総じて「いい顔」をしていたことだ。何か安定感があるようにも思えた。現在の収入や将来の年金額をみても、サラリーマンや公務員よりも少ないにもかかわらず、そうなのである。
なぜだろうか?
出席していたサラリーマンである友人は、「われわれは、社内の分業制の中で働いているので、この仕事は俺がやっているという実感が持ちづらい。一緒に働く仲間との関係で自分の存在を確認している」と話していた。だから「こころの定年」のところで述べたように、「成長実感が得られない」「誰の役に立っているのかわからない」といった状況になるのだろう。若手社員よりも、組織の中での役割も不分明になりがちな働かないオジサンは、特にそうである。
一方で、小商いの商店主やフリーランスは、自分の目の前にお客さんが見えているので、働いている実感を得やすい。おそらくこの違いが、「いい顔」の差異に影響しているのだろう。
成長実感や役立ち感が十分に得られないために、サラリーマンは必要以上に不安を抱きがちになるのではないかと思う。確かに先行きが見通せない時代には、経済面の不安はあって当然だが、サラリーマンは足場の仕事に実感を持てないので、不安を増幅させているのではないだろうか。働かないオジサンといっても、本当に気楽そうな人は多くないのである。
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