とにかく評判の悪かった女性閣僚たち
「すべての女性が輝く社会をつくる」。それが安倍内閣の最重要課題だそうである。そのことを象徴するように今回の内閣改造では閣僚・党三役に6人もの女性が充てられた。
女性活用という標語をタテに閣僚ポスト待ちのオジサンたちからの突き上げを避けるという政治的目的もあったろうけれど、この人選、とにかく評判が悪い。彼女たちにはジェンダー論や女性政策の現在にとても追いついていない固陋で保守的な思想的傾向があって、女性活用に明らかに逆行しているというのだ。
ぼくも彼女たちの思想的傾向についての批評には同意できるところが多い。けれど、こうした批評が批判たりえるとして、その矛先が向くのは選ばれた政治家の中身を無視して数だけに注目したメディアであって、別に政権の政策そのものじゃないから、批判としてはいかにも不毛だ。
実際にかたちになる政策が重要なんであって、それを担当するのが男性でも女性でも、どうでもいいじゃないか。女性なのに女性に優しくない、とか目くじら立てても仕方ないでしょうに。
そもそも彼女たちのような女性は実際にいるのだし、しかも彼女たちは民主的な選挙で国民を代表しているのだ。それを閣僚に選んで、女性の活用と言って、それで何がいけないのだろう? 今回の人事を、内閣においてまで女性の登用を進めようとしたアファーマティブアクションと理解するならば、彼女たちの思想的傾向と無関係に、女性がこれまで以上に登用されたことだけでも価値があることになる。