なるほど、彼女たちの思想的傾向が政策に反映されるなら、確かに彼女たちの個人的な性格を問題にするのもいいかもしれない。けれど、実際につくられる政策が彼女たち自身の家族観や思想を反映させるのかというと、そういうわけじゃない。フェミニストが批判するように女性閣僚たちがしょせん人寄せパンダとして登用されたと考えるなら、彼女たちの政治的実力は極めて低いと考えるのが妥当だろう。
実際、内閣改造後、女性活用を担うべくつくられた「すべての女性が輝く社会づくり本部」は、その第1回の会合で基本方針たる「政策パッケージ」を決定してしまった。第1回で、である。事実上これを主管する有村治子女性活躍担当相の出る幕などなかったのだ。
フェミニストにとって、今はむしろチャンス?
さて、女性閣僚たちの思想的傾向がどうでもいいとすると、安倍政権における女性政策の本当の駆動力はどこにあるのだろう? 安倍家の家庭内野党? そうかもしれないけれど、ぼくらの確認できる範囲では産業競争力会議のように見える。そこでは、人口規模を保持するための少子化対策や、女性の再チャレンジ支援といった話題が挙がっていたが、今年に入ってから経済政策としての女性活用が明確に強調されるようになってきた。女性の社会進出によって世帯のダブルインカム化を図り、内需拡大につなげるという論理だ。
とはいえ、この時点では女性活用はそこまでの地位を与えられていたわけじゃなかった。それが、安倍政権の主要政策として前面化したのは、これはぼくの仮説なのだけれど、移民問題への対応だったかもしれない。同じ1月、「選択する未来」委員会における岩田一政・元日銀副総裁の提出資料において年間20万人の移民受け入れが提言され、その後にわかに移民政策が話題になった。
ところが、3月の経済財政諮問会議・産業競争力会議の合同会議の時点ではすでに揺り戻しが到来、移民に代わって高齢者や女性などの国内労働力を利用することとなり、首相も移民政策は取らないと断言した。移民が話題になったことで人口維持の重要性からは目をそらすことができなくなったにもかかわらず、移民ではない方法で対応しなきゃいけない。かといって、女性の社会進出による内需拡大を主張してしまった手前、専業主婦になって「産めよ増やせよ」と言うわけにもいかない。
つまり、安倍首相のイデオロギーは彼を移民政策よりはまだましな女性政策に追い込み、結果としてこれまで十分には取り組まれてこなかった女性活用の問題に直面させているのではないか。だとすれば、フェミニストはイデオロギー的見方に凝り固まって安倍政権に反発しているばかりではなく、ここがチャンスと共闘すべきなのかもしれない。
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