エコに「ケッ」と思っていた私が考えを変えた理由 孤独から脱出し、日常が「意味あること」になる

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そんな私が今こうしてエコを語っている。それはひとえにエコが正しいからではなく、エコは面白いからである。そしてこの閉塞感にまみれた世の中で、閉塞感とは無縁に生きる貴重なツバサを与えてくれるからである。誰の人生も救ってくれる可能性があるからである。

と、今回も大きく出たところで、なぜそうなるのか、経験者として、エコを目標に生きるそのすごい効能について具体的に書かせていただく。

効能その1 無力感からの脱出

エコであるということは、ひとことで言えば、これまで自分が生きてきた社会の常識を覆すということだ。だってこれまで自分もみんなもやってきた常識の結果が、今の「エコじゃない」社会の現実なのだから。

つまりはですね、なかなかに大変な作業なのだよ。

でも、だからこそその効能は大きいのであります。

例えばですね、私の場合、例のプラゴミゼロ計画をいざ日本で実行しようとしたら、たちまちその途方もない困難さに直面することになった。だってこのジャパンにおいてはもう売っているもののほぼすべてがプラで覆われているのだ。食品も肌着も何もかも! 

ってことで、プラゴミゼロを実行すれば食べるものにも着るものにもたちまち窮すると気づく。

普通ならここであきらめるところだろうが、何しろ新たな人生の希望として決めたばかりの目標だから、そう簡単に引き下がるわけにはいかぬ。今すぐの完全目標達成は難しくとも、できることはきっとあるはずと頭を捻ったのであった。

まず取り組んだのは店探し。私が日頃買うものといえば野菜と米と豆腐なので、まずはそれがプラに包まれていない店を見つければいいのではないか。

だがこれも簡単じゃないことがすぐわかる。スーパーやコンビニはもちろん、今時個人店だって野菜も米もプラに包まれておる。なるほど効率的に見栄えよく売ろうとすればおしなべてこうなるのだ。社会全体がプラ包装を前提に回っているのである。ってことで再びウーンとなっていた私に、あるインスピレーションを与える出来事が舞い込んだのであります。

いつも行く近所の豆腐屋である日、常連らしきおっちゃんが家の「なべ」を持参して豆腐を入れてもらっている姿を見たのだ。そうか! 確かに昔はそれが当たり前だったと聞いたことがある。現代でもやっている人がいるとは知らなかったが、現に目の前にいるではないか。

感動した私は豆腐屋のおっちゃんに「ああいう人が今もいるんですねー」と言うと、「あ、あの人はちょっと変わりもんでネ」。なるほどこのプラ時代においてはその行為は「変わりもん」認定。

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