性的少数者は韓国社会で20年間どう戦ってきたか ネットの影響から韓国軍兵士をめぐる訴訟まで

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インターネットというサイバー空間を通じて、「わかってくれるのは自分だけ」と思い込んでいた性的少数者たちが互いの存在を確認し、コミュニケーションを図り、集まることができるようになった。インターネットは当時、大都市と地方の小都市までを連結させ、青少年の性的少数者が集まることができるようになるなど、性的少数者を連結させる役割をしっかりと果たした。

また、多くの団体・集まりから発生する性的少数者の便りと情報を載せた非公式的な刊行物もつくられるようになり、それら刊行物を回覧しながら読むようになった。そして1998年には正式に出版登録を行い、書店に配布される最初の同性愛者専門誌『バディ(BUDDY)』が出版された。当時の韓国社会で同性愛を前面に打ち出し、書店で購入できる雑誌の登場は画期的なことだった。

カミングアウトしたタレントが「クビ」に

韓国での性的少数者の人権を尊重するための「プライドパレード」は2000年に始められた。韓国のプライドパレードの特徴は、パレードや映画祭、パーティ、懇談会などの性格を持つイベントがともに企画され、総合的な性的少数者の文化イベントを行っているという点だ。そのため、名称も「クィアカルチャー・フェスティバル」となった。2000年に始まった同フェスティバルは、2022年で22回目を迎える。

2000年と2001年は性的少数者が可視化されるとても重要な年だ。2000年にはタレントとして活発に活動していたホン・ソクチョン氏がカミングアウトした。有名人が公の場で初めてカミングアウトしたことに、大韓民国は浮き足だった。彼の勇気を称賛する雰囲気もあったが、韓国社会はどう受け止めればよいのかわからなかった。

ホン・ソクチョン氏は出演していたすべての番組を降ろされ、放送局から追放された。そしてその翌年の2001年には、トランスジェンダーの女性(男性から女性)であるハ・リス氏が「女性よりかわいい女性」をうたい化粧品広告のモデルとしてデビューした。男性の同性愛者であるホン・ソクチョン氏とは違い、トランスジェンダーの女性であるハ・リス氏はすぐさま社会に受け入れられた。

ハ・リス氏は映画とドラマに出演するだけでなく、歌手としてもデビューするほどの人気を得た。また、トランスジェンダーの人権について韓国社会が本格的に議論するきっかけをも提供した。

ホン・ソクチョン氏は放送界から追放されたが、彼のカミングアウトは敗北ではなかった。彼のカミングアウトで韓国社会では同性愛者がカミングアウトすれば差別を受けるという事実が明らかになった。これに多くの人たちは衝撃を受けると同時に、応援する集まりが出現した。数年後、彼は再び放送局に戻り、現在は高い人気を得ている。

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