性的少数者は韓国社会で20年間どう戦ってきたか ネットの影響から韓国軍兵士をめぐる訴訟まで

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2002年当時、韓国政府レベルで大きな変化となったのは、国家機関として「国家人権委員会」が設立されたことだ。差別を禁止することを明記した差別条項に、同委員会は「性的指向」を入れた。

これにより初めて、「性的指向」による差別を禁止すると明示した法が制定された。現在でも「性的指向」が記載された大韓民国唯一の法律として残っている。当時、「性的指向」が差別条項の1つとして採択されたのは、性的少数者人権運動の大きな成果となった。

このように、2000年から2006年まで、性的少数者の人権運動は盛り上がりを見せ、性的少数者の人権保護が強く形成されたかのようにみえた。しかし、2007年には予想もできなかった局面を迎えることになる。

保守的プロテスタントによる「反発」

2007年は韓国の性的少数者の人権運動史において、新たな局面へ転じる年となった。同年、韓国法務省は差別禁止法案を上程することにしたが、保守的なプロテスタントを中心とする集団がこれに強く反対した。「性的指向」を含む7つの差別禁止事由を削除したまま、差別禁止法案がまとめられた。

これが重要な事件であるのは、保守的プロテスタント集団が初めて、性的少数者に反対する集団・勢力として登場したことだ。問題なのは、この集団が巨大であること。政府が反対勢力に屈服して、差別禁止条項において「性的指向」を含めたいくつかの条項を削除したまま法案を採択したことだ。結局、差別禁止法案は国会の任期満了で廃案となったが、当時の事件は今でも韓国社会の人権問題においてネックとなっている。

一方で、バラバラとなっていた多くの性的少数者がこの事件を契機に集まり、政府と反対勢力に対抗して性的少数者の政治的権利のために多様なやりかたで身を投じて戦った。この時期の差別禁止法闘争は、「この戦いは韓国のストーンウォール反乱になるだろう」と序文に記された白書に残されている。そして現在でも、差別禁止法を制定するための闘争は続いている。

(編注:ストーンウォール反乱=1969年にニューヨークのゲイバー「ストーンウォール」に警察が捜査のために踏み込んだが、そこに居合わせたLGBTQの人たちが警官に対抗して暴動となった事件。この事件をきっかけに、権力によるLGBTQらの迫害への抵抗運動となった)

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