「占い」を客観的な視点でさまざまな角度から検証する本連載。今回は、「戦国武将たちと占い」についてお届けする。占い“マニア”だったとされる武田信玄、占いにはいっさい興味がなかったという織田信長……残された資料からは、戦国武将たちの知られざる側面が見えてくる。
頼朝は戦の前にくじを引いた?
現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中で、出陣の日を決めるために源頼朝がくじを引くシーンがある。これにより、戦は「17日」と決まった(実はすべてのくじに拾七と書いておいたと後に種明かしされたが)。
しかし、史実では頼朝自身がくじを引くことはなかった。
「頼朝が占いをどのように活用したかについては、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に見ることができます。それによると、筑前国(現在の福岡県)の住吉神社の神官、佐伯昌助が伊豆の国に流され、もう1人の占い師とともに頼朝に呼び寄せられた。そして御前で卜筮(ぼくぜい)を行ったと書いてあります」と話すのは、『占いと中世人―政治・学問・合戦』などの著書がある日本史学者の菅原正子氏だ。
「当時、占いは神の意思を聞くものであり、くじなどは神職にある者のみが引くことができました。ですから、ドラマはあくまでもフィクションです。頼朝の時代は専属の占い師などはいなかったようですが、第3代将軍実朝の代から京都より陰陽師を呼び、幕府に専属の陰陽師を置きました。承久の乱で勝利して以降、鎌倉幕府に仕える陰陽師は急激に増えています。陰陽師たちは、占いはもちろん日時の占定、祈祷、祓え、身固め等の呪術、天体観測などを行いました」(菅原さん)
陰陽師というと安倍晴明が有名だが、彼が活躍したのは平安時代。当時の陰陽師は朝廷に置かれた役所「陰陽寮」の官人だった。今でいう宮内庁職員のようなものだ。「陰陽寮の専門職、陰陽師は陰陽・暦・天文・漏刻の博士であり、陰陽生に教える役目もありました」(菅原さん)。
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