フェミニズムが一気に「爆発」した韓国特有の理由 日本より#MeTooが盛り上がったのはなぜなのか

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儒教の国として知られる韓国では家父長制度が深く根を下ろし、その象徴といわれたのが「戸主制度」だった。この制度はもともと日本の植民地時代の戸籍制度の名残といわれ、家族は戸主とその他の家族員により構成され、戸主という家父長が家族を統率し、父系の血統を継承していく概念。

これにより、韓国では女性の役割は「家を継ぐ男児を産むこと」が第一とされ、女性の社会活動へ制限をかけてきた。ちなみに日本では1947年に同制度は廃止されている。

韓国ではこうした背景から女性の社会的、政治的地位を向上させるべく女性の人権保護を訴える運動が始まった。1980年代初めに梨花女子大学大学院に「女性学科」が新設され、卒業生たちにより女性の人権保護団体ができていく。1987年にはそんないくつもの団体を束ねる「韓国女性団体連合」が発足。

同年、韓国では「民主化」が実現し、それまで軍事政権によって抑えられていた「旧い価値観を破るエネルギー」が広がっていくことになる。韓国の人たちは声を挙げることに慣れているように見えるが、こうした大きな”成功体験”が脈々と受け継がれているからともいえる。

韓国のフェミニズム運動も弾みをつけ、1990年代以降の大きなムーブメントへと続いていく。

1990年代後半から男女間に「軋轢」

まず、1997年、「同姓同本禁婚制度」が「違憲」とされ、廃止された。この制度は、同姓、例えば、金さんという同じ姓のふたりが恋愛をし、結婚しようとしても、「本貫」という家系、つまり父系の祖先が同じルーツの場合は近親婚とみなされて婚姻することを法律で禁じたもの。

筆者が1995年にソウルに語学留学した際、この法律により結婚できないと涙ながらに話していた韓国人の知人がいたが、こんな理不尽な制度に苦しめられたそんなカップルが憲法裁判所へ制度廃止を訴えた。憲法裁判所は、制度が憲法に定められている「幸福追求権」に違反することを認め、同制度は1997年、廃止され「近親婚禁止」となった。

続いて1999年には、軍服務が義務である韓国男性に与えられていた「軍服務加算点制度」がやはり憲法裁判所で「違憲」という判決が出て廃止された。これは、公務員や公共企業などの採用試験の際に軍服務を終了した男性には3~5%点数が加算されていた制度で、原告は公務員試験を受けた女性だった。

「違憲」事由は、「女性や障害者などの権利を侵害する」ことが認められたためだったが、この判決が出た後、「徴兵制のある男性ばかりが犠牲になっている」という不公平さや不満を訴える男性のバックラッシュ(反動)が一気に広がることになる。韓国で、現在の”ジェンダー葛藤”といわれる萌芽はこの時からだといわれている。

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