「平清盛に翻弄された愛人たち」の末路が心打つ訳 平安時代末~鎌倉時代の女性の知られざる実像

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あまりの扱いに、祇王の目から涙があふれ出す。清盛は祇王の心中も察せず「今様を歌え」と命じる。祇王は流れる涙を抑えつつ、今様を歌った。

祇王の心中を察する平家一門の多くの人々は、感動の涙を流した。だが、清盛は相変わらず「これからは毎日来て、今様を歌い、舞を舞え。そして仏を慰めよ」と言うばかりだった。

清盛から与えられた恥辱に、祇王は自殺を考える。祇女も共に死のうとする。だが、母の「お前たちが死んだら、この老いぼれもすぐに身を投げよう。まだ死期も来ていない親に身投げさせるということは罪。お前たちが地獄に落ちることはつらい」という「脅迫」と「説得」によって、姉妹は翻意。姉妹とその母は、出家し、嵯峨の奥の山里に隠棲する。

剃髪して庵を訪れた仏御前

こうして季節が過ぎゆくなか、七夕の夕暮れどき、1人の女性が祇王らの住む庵を訪れる。何とそれは、剃髪した仏御前であった。

驚く祇王に仏御前は涙をこらえつつ、清盛の命令に逆らえず渋々とどまっていたこと、祇王らが出家し仏の道に励んでいることを羨望し、清盛邸を密かに抜け出してきたことを告げる。

「これまでの罪をお許しください」と涙を流す仏御前を見て、祇王も「日ごろの恨みは消えました。一緒に往生を願いましょう」と受け入れる。

『平家物語』の祇王、仏御前の逸話は、清盛の身勝手さを浮き彫りにするものではあるが、清盛が本当にこのようなひどいことをしたかはわからない。ただ、京都の嵯峨には、祇王寺があり、そこには祇王、祇女、刀自、仏御前、そして清盛の木像が安置されている(祇王、祇女の像は鎌倉時代末に制作か)。そして、同寺にある碑には 「性如禅尼承安二壬辰八月十五日寂」と刻まれている。

性如禅尼(祇王を指すと考えられている)が、1172年に亡くなったことが刻まれているのだ。

祇王と仏の物語は、諸行無常が『平家物語』に登場する権力者のみならず、庶民にも当てはまることを教えてくれる。また、横暴な権力者に抵抗した祇王らの行動は、中世民衆のたくましさを伝えてくれるものだろう。

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