「平清盛に翻弄された愛人たち」の末路が心打つ訳 平安時代末~鎌倉時代の女性の知られざる実像

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そして3年ほど経ったときに、加賀国出身の白拍子である仏御前が現れる。16歳という若き彼女も、都で人気を博していた。仏御前は「私は天下で評判となったが、清盛様にはまだ召されたことがない。これは残念なこと」と言うが早いか、清盛の邸を訪れる。押しかけ営業をしたのだ。

しかし、清盛は「遊女は人の召しによって参るもの。それが押しかけてくるとは。追いかえせ」と厳命する。そこに祇王が口を挟む。「若い白拍子を追い返すのは気の毒。他人事とも思えません。せめて、会うだけでも会ってくださいませんか」と。寵愛する祇王の言葉に清盛は「そなたが、それほど言うならば」と言うしかなかった。

清盛の面前で、仏御前は今様(当時、流行した歌謡)を3度歌う。その声音が素晴らしかったので、舞まで舞った。

何より清盛の心を捉えたのは、仏御前の美貌であったろう。清盛は退出しようとする仏御前を押しとどめる。「祇王様がいるのに」と遠慮する仏御前に「祇王がいるので、遠慮しているのか。ならば、祇王をここから出そう」と言う始末だった。

祇王はこうなることを前から覚悟はしていたようであるが、それがこんなに早いとは思いも寄らなかったという。悲しみがこみ上げてきて、涙を流しつつ、清盛の邸を去ることになる。毎月送られていた米・金銭も届けられなくなった。今度は仏御前の一族がいい待遇を享受することになる。

清盛が祇王に使者を送ったワケ

翌年の春になって、突如、清盛の使者が祇王のもとを訪れる。「仏御前が寂しそうにしているので、今様を歌い、舞でも舞って、仏御前の憂いを散じてくれないか」と言うのだ。あまりのことに、祇王はあきれてものも言えなかった。

返事をせずにいると、清盛からまた使者が遣わされてきて「返事もせぬ、参らぬというならば、この清盛にも考えがある」と脅迫まがいのことを告げられる。

祇王は参るつもりはなかったが、母は「この国に住むからには清盛様の仰せに背くことはできない。そなたが参らねば、私も都から追放されよう。しかし、それは年寄りにはつらい」と懇願する。

そしてついに祇王は清盛のもとに出向く。1人で参上するのもつらいので、祇王は妹の祇女と行を共にする。ところが、通されたのは、はるか遠くの下座であった。

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