大罪人扱いからなぜ出世?「西郷隆盛」意外な変身 島流しからの復帰に尽力した大久保利通の胸中

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久光と大久保は参与会議が崩壊した後も3カ月は京にとどまっている。そんな中、1月に復帰が決まった西郷は、2月に鹿児島に帰着。斉彬の墓に参り、帰藩の報告をしている。島での長い獄中生活で足腰が弱ってしまい、歩くと痛みもあったが、斉彬の墓参りだけは欠くわけにいかなかった。

そして3月には久光に呼ばれて、京へと向かっている。京の地で、ようやく大久保と西郷は再会を果たす。大久保は西郷のために伏見の寺田屋で祝宴を開いた。

一体、どれだけ嬉しかったことだろうか。西郷の島での苦労話もあれば、西郷の知らない薩英戦争の話も出たに違いない。けれども、どれだけ楽しい時間を過ごしても、大久保は西郷にしっかりと釘を刺すことを忘れなかったはずだ。これから久光との対面が控えている。頼むからうまくやってくれ。大久保は懇願にも近い思いを抱いていた。

不安な心情は、西郷と久光が対面を果たしたあとに、義兄の江戸留守居役である新納嘉藤次宛てに、大久保がこんな書状を出していることからもうかがえる。

「西郷も上京して、早速、お上と拝謁したが、今度は議論もおだやかで、心配することは少しもなく、安心している」

西郷の変貌ぶりを見て考えを改めた久光

書状にあるとおり、西郷は久光との拝謁を無難に乗り切った。長い島生活のなかで、禅に打ち込んだ西郷は、心を穏やかにする術を身につけていたらしい。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったものだが、成長著しいのは、大久保だけではなかったということだ。

そんな変貌ぶりを見て、久光も考えを改める。西郷を軍賦役兼諸藩応接掛に任命し、薩摩藩兵の指揮権を与えるという懐の深さを見せた。対面に立ち会った大久保の心底ほっとした表情が、目に浮かぶようである。

その後も西郷は徒目付から一代新番に家格が上がって、御小納戸頭取・御用取次見習になったかと思えば、5月には一代小番・御小納戸頭取、10月には代々小番・御側役となり、出世の階段を駆け上っていく。西郷がそれだけ存在感を発揮したのは、京である騒動が起きたことも大きかった。

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