私は、S専務とのやり取りを、松下の前で、いささか興奮して激論したことを一瞬後悔しつつ、多分、このような議論には興味がないのかもしれないし、眠っているとすれば迷惑なことだと思い、適当なところで、S専務に「もう止めましょう」と言って、二人で部屋を退出した。
松下の経営の支えになっていたもの
それから、1カ月ほど経って、松下と話をしていると、松下が、遠くを見るようにして、昔話をし始めた。
「わしがな、店を始めた頃、加藤大観さんという、真言宗のお坊さんが、縁あって、わしの側にいたんや。この人は、わしの健康長寿と店の繁栄を祈ってくれていた。まあ、わしの相談相手にもなってくれていたな。あるとき、一つの製品について、度の過ぎる激しい競争がおこなわれてな。わしは、正しい競争ならするけど、不当な乱売競争はしないと心掛けていたから、その競争に乗らんかったんや、最初はね。けど、いくつもの店が入り乱れて、まあ、乱売合戦や。さすがのわしも、腹をすえかねて、徹底的にやってやろうやないか、と考えた。そいでな、その加藤さんに言うたんや。徹底的にやろうと。そうすると、加藤さんは、静かにこう言ったんや。
“そうですか。それはなかなか勇ましいことですな。あなたがそこまで思い立ったのであればおやりなさい。ただ、あなたは、数百人の従業員をかかえている。あなたは今、一時的な怒りにかられて、損得を超越してやろうとしているのだから、たとえそれで大きな損をしても、気分がスカッとするかもわからない。しかし、その結果生まれる経営難は、抱えている何百人もの人に及ぶのです。それは大将のすることですか。それは匹夫下郎のすることです。大将というものはそんなことをしてはいけない。
ほかのところが乱売競争を仕掛けてきても、あなたが正しいということをやっているのであれば、決して心配はいりません。乱売しているところへは、一時的にはお客が行くかもしれません。しかし、出船もあれば入船もある、というのが世の常です。あなたが、自分の感情にかられて、やるんだというのなら、おやりなさい。しかし、それは、大将のすることではありません”と。
まあ、こう言うんやね。わしは、うーん、なるほどと思って、乱売合戦に参加するのを止めた。結果はどうなったかというと、大観さんの言うた通りになった。」
松下は、ここで一呼吸した。そして、今度は、私の顔を見据えながら、
「きみ、わかるか、商売するとき、結果を出せばいい、結果だけが商売や、と考えたらあかん。その仕方やな、それも大事や、ということやね。なにをやってもいい、勝てば官軍、という商売は、あかんよ。結局は、失敗するで」
これは、私が、PHP総合研究所の経営を任される前年の話である。
ちなみに、くだんのS専務(のちの社長)の会社は、8000億円の負債を抱えて、後日、2005年、倒産した。
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