「自主自立の心持ちが、大事やね」 政府に頼る、国に頼るということをしなかった

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昭和の大経営者である松下幸之助。彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか。松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しい。(編集部)

 

松下幸之助の生涯を貫いていたものは、「孤独」であったのではないかと思う。
和歌山県海草郡和佐村で生まれたときは、家はかなりの資産家であったらしい。8人兄弟の末っ子。のんびりとして過ごしていたと思う。

しかし、4歳のとき、父親の政楠(まさくす)が米相場に手を出し、失敗。先祖伝来の土地も家も売却。かくして松下家は没落。一家は離散。幸之助は9歳、小学校4年生で中退する。母親に見送られて、大阪の船場にある火鉢屋に奉公に出る。

誰も助けてくれることはなかった

こうして、以降、松下は、一人で生きていくことになる。「孤独」の状況ゆえに、自分で考え、自分で決断して、行動し、結果は自分で、責任を取らなければならなかった。誰も助けてくれることはなかった。涙を流し、歯を食いしばって、ひたすら自分を頼りに日々を過ごさざるを得なかっただろう。

松下は、そういう日々を過ごしながら、次第に自主自立の精神を身につけていく。どんな状況でも、どのような環境でも、最終的な痛みは自分が感じることを学んだのであろう。   

孤独である経営者になっても、だから、その自主自立の思いは揺らぐことはなかった。松下幸之助は、松下電器の発展の過程であろうと、その規模がいかに大きくなろうと、ほとんど他者に頼ることはなかった。むろん、政府に頼る、国に頼るということもしなかった。

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