政治家と交流はあったが、政治家に問題を解決してもらおうとしたことも、助けてもらおうとすることも、利便を得ようともしたこともなかった。松下電器は、国を頼らず、利権を求めず、自力で、孤高を保って、ただ一点、お客様、社会を見つめつつ、発展した。したがって、政治家と利権関係でつながるとか、しがらみが出来るとか、ということは無縁であった。いや、嫌悪すらしていた。
よく、松下幸之助は、「自主自立が大事やね。誰とも仲良くするけど、誰にも頼らんという、そういう心持ちが大切や。わしは、いままで、そう考えて経営をしてきた。誰かを頼る。そうすると、うまくいくと。しかし、人間というのは、一度、うまくいくと、そういうことを繰り返すわけや。今度は、国に頼もう。今度は、あそこに頼もう。それで、だんだんと、頼むことばかり考えるようになる。けど、頼んで、うまくいって、それで終わりかというとそうではないわな。次は、相手からなにがしかを求められるようになる。そうなってくると、お互いに依存し合う。依存し合うと、自分の原因ではなく、相手の原因で、こちらも悪影響を受けるということになる。悪くすると倒産する。わしは、そういうことをいろいろと見てきたからな。とにかく、自主自立の心持ちがなければ、経営に誇りも持てんし、発展もせんね」と話をしてくれた。
繰り返し、そのような話を聞かされて、私は、なるほど、人間は、とりわけ、経営者は、自主自立の精神を持たなければならないのだと固く思い定めるようになった。
PHP総合研究所を自立の経営へ
PHP総合研究所は、創設以来、ずっと松下電器に、おんぶにだっこの経営をしていた。社員は、ほとんど松下電器から異動していた。もちろん、彼らの給料も松下電器が支払ってくれていた。出版物は大量に購入してくれたし、その新聞広告も松下電器が負担してくれていた。今思えば、それでも長い間、赤字続きであったことを不思議に思うが、とにかく、PHP総合研究所の経営は、松下電器頼みであった。
しかし、先述のように、松下幸之助から「自主自立の心持ち」を繰り返し教えられた私は、経営を担当するようになって3年ほどで、これら一切の松下電器からの援助、補助を断ち切ることに踏み切った。当然、先輩諸氏から、そんなことをしたら経営をやっていけない、無謀にもほどがあると危惧批判されるし、松下電器からも、PHP総合研究所をコントロールできなくなるということであろう、中傷非難されることになった。
だが、孤立した私の決断にただひとり、松下幸之助が喜んでくれた。「よう、決断した。うまくいかんときは、そのときはそのときや。心配せんでいい。やってみい」と励ましてくれた。嬉しかった。そして、なによりも、ありがたかったことは、社員の理解であった。社員の間に緊張感が満ち満ちて、社員一人ひとりが、我が事は、自分で解決、成果を上げなければならないと覚悟してくれた。社内の雰囲気は一変した。
その後は、PHP総合研究所の活動は、松下幸之助が感心してくれるほど拡大した。社員一人ひとりが依存心を捨て、一人ひとりが自主自立の思いを持って、それぞれの仕事に取り組んでくれた結果である。
松下幸之助の「自主自立の心持ち」の大切さを、私は、いまも痛感している。
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