つまり、自分に見えている世界や示された平均を標準と考え、そのゾーンにいないと不安になるわけです。標準はあくまでも全体の中央値であって、上もいれば下もいます。その平均が標準というだけの話なのですが、見ている世界がすべてと感じてしまうこともあります。
その子の“凹んでいる部分”に意識が向いてしまう
兄弟姉妹がいる場合は、毎日接していることから、子どもの様子が日々目に入り、比較の連続になりがちです。
例えば、「上の子は言わなくてもしっかりやる子だったけど、下の子は言わないと全然動こうともしない」とか、「下の子は活発に行動するけど、上の子は本ばかり読んでコミュニケーションが苦手」など、さまざまな比較が行われます。そして得てして、その子の“凹んでいる部分”に意識が向かいます。
自分が子どもの頃はこんなにだらしなくしていなかったとか、もっとも勉強していたなど、子どもの頃の自分と目の前の子どもを比較することがあります。
自分の過去を美化している可能性もあるため事実は怪しいこともありますし、そもそも、親と子どもでは人格が異なり、冷静に考えれば、同じであることはありえません。しかし、なかなかそう思えない現実があります。
このように、子育てでは比較対象がさまざまあるため、どうしても比較する頻度が多くなります。比較をやめようとしても、それはかなり難しい話になります。
そこで、筆者からは「比較をどんどんしてください」という提案をします。
驚かれるかもしれませんが、比較する目的は、今までとは真逆になります。つまり、「比較して凹む」のではなく、「比較して伸ばす」ことを目的とします。
そこで、山崎さんは次の2つのいずれかを試してみてはどうでしょうか。
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