日本人が長く見過ごしてきた経済成長の「犠牲者」 資本主義を支えたのはケアワーカーたちだ

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イギリスや日本が戦後、高度経済成長を成し遂げられたのは、多くの女性たちが家庭に入り無償でケアを引き受けていたからでもある。しかし、オイルショックでその限界に達した。女性たちは外に出てお金を稼がなければならないし、かといってケアをなしにするわけにもいかない。男女とも、そうした時間を作れる働き方にしなければならない時代は、とうの昔に到来している。

こうした話から思い出すのは、ファンタジー作家のミヒャエル・エンデの名作『モモ』である。物語では、時間泥棒の組織が人々のゆとりを奪っていた。奪われたゆとりとは、人々が家庭や地域でお互いをケアする時間だった。現実を生きる私たちが時間泥棒を撲滅するには、どうすればいいのだろうか。

稼ごうとするとケアするゆとりを失う構造

現在の資本主義社会では、稼ごうと思えばケアをするゆとりを失う構造になっていないか。ケアを重視すれば低賃金もしくは無償で働かざるをえなくなる。もしかすると、金銭的なゆとりがなくなって心の余裕を失い家族のケアに気を配れなくなるかもしれない。

少子化も、家庭内の軋轢も、人々がケアする余裕を失っていることが原因かもしれない。もっと時間が欲しい、もっと温かい雰囲気の家庭や職場、地域が欲しい。そんなふうに感じている人は多いのではないだろうか。私たちに今必要なのは、「もっとケアして!」と女性たちに要求することではなく、自らがケアをする余裕である。

幸い、介護・保育の分野については、岸田首相が昨年12月13日の国会で、今年2月からの賃金引き上げを言明した。ケアワーカーの待遇が改善していく可能性が見えてきたのは、明るい兆しと言える。問題は家庭内のケアだ。

家庭でケアをするゆとりを人々が得るためには、残業など不必要に「会社にいること」を求める職場の慣行を止めることが必要だ。その慣行があったからこそ、男性たちは長年、心身ともに会社に捧げて家庭を顧みる余裕を失ってきた。

総合職女性もこの三十数年、そうした会社文化に引きずり込まれてきた。男性が会社の奴隷状態だったから女性たちがそのあおりで、家庭内で奴隷的な働き方を求められてきたのではないのか。そして働く男女が、プライベートの要素が少ない生活で疲弊してきたからこそ、平成の間中、経済の発展がはかばかしくなかったのではないのか。コロナ禍でこうした慣行を見直す動きが出ているが、より力強く推し進めるために具体策を考えなければいけない段階にある。

阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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