日本人が長く見過ごしてきた経済成長の「犠牲者」 資本主義を支えたのはケアワーカーたちだ
同氏は著書で、「経済学が語る市場というものは、つねにもう1つの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた」と書いている。
「ケアがなければ子どもは育たないし、病人は回復しない。ケアがなければアダム・スミスは仕事ができないし、高齢者は生きられない。他者からケアされることを通じて、私たちは助け合いや共感を学び、人を尊重し思いやる気持ちを育んでいく。こうした能力は生きるのに欠かせないスキルだ。経済学は愛を節約しようとした。愛は社会から隔離され、思いやりや共感やケアは分析対象から外された。そんなものは社会の富と関係ないからだ」と問題点を記す。
愛とケアを無視した経済システムの始まりは、「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスだとマルサル氏は指摘する。スミスは生涯独身を貫いたが、人生のほとんどを母親のケアを受けながら研究に没頭し、受けたケアを計算に入れずに経済学の基礎を作った。
それは彼にとって、母親が自分の世話をすることは当たり前であって、経済とは無縁の愛の証と受け取っていたからだろう。その後の社会も、ケアのコストを考慮に入れずにきた。無視され続けたケアと愛情はどうなったのか。
男性の幸福度は1970年以降上がってきた
マルサル氏は先進国の女性の幸福度が、1970年代以降徐々に低下してきた一方、男性の幸福度が上がっている、という2009年の研究を引き、「先進国全体で見れば、女性は男性より強いストレスにさらされ、時間に追われている」と書いている。
ケアの度外視は、人々を不幸にしている。共働きのワーキングマザーは、家事・育児と仕事の両立に必死で、家庭でのケアが行き届かない自分を責めがちだ。家事・育児をあまりシェアしようとしない夫と、関係が悪くなる妻もいる。
保護者に余裕がないと、子どもたちも寂しい思いをする。シングルマザーの貧困問題は日本でも深刻だ。親の介護のため失業する人もいる。そうした現役世代の経済的・時間的・精神的な余裕のなさは、当事者の力不足ではなく、ケアを除外した経済システムに原因があったのではないか。
刊行から9年、イギリスでの変化を尋ねたところ、「大きな潮流として変化があります。今でも女性が料理や掃除やケアを男性より80%も多く行っていますが、40年前に比べると、男性は週に5時間半も育児や家事に費やすようになっています」とマルサル氏。
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