いつも何かモノを「もらえる」人の意外な共通点 持ちすぎていた私が「もらう名人」になった理由

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これは不思議なことでも何でもない。誰しも「もらいっぱなし」というのは居心地が悪いものなのである。もらったら、何かをお返ししたいと思うのは人の自然な感情なのだ。

ってことで、これでもう大丈夫! あとは黙っていても寝ていても夢の「もらう生活」が待っているのみ……と、言いたいところだが。

「人生はもらい方が9割」

残念ながらそういうわけにはいかない。はっきり言えば、本当の勝負はここからだ。ただ「もらう」だけではダメなのである。どう「もらう」のか。そのもらい方によって、お金じゃないやりとりが延々と展開される「地下経済」へのアクセス路は、どこまでも太くもなれば、たちまち枯れもするのである。

つまりはですね、「人生はもらい方が9割」なわけです!

というわけで、これから書くことをとくと心して読んでいただきたいと思う。

まず一般的に言って、「あげる」よりも「もらう」ほうがラクだよねと思う人が多いかもしれない。だって、あげるとなれば、何はともあれまずはあげるものを用意しなけりゃならないですからね。でももらうとなれば、失うものは何もない。ただただ「アリガトウ」と、差し出されるものをニッコリ受け取れば良いだけではないか。

……と、思うでしょ。

でもこれが案外そうじゃないんですよね。

ちょっと想像してみたらわかると思うんだが、実は「あげる」ほうが、「もらう」ほうよりずっとずっとカンタンなのだ。

だって、あげるとなれば、「もらっていただく」という謙虚な気持ちを忘れずに臨んだとしても、やはり「あげる」んだから「いいことしてる」感しかないわけで、気分的にはとてもラクである。それに、モノを無駄にせず、家の中に余分な者を抱え込まずに済むというメリットもある。つまりはですね、ほぼ良いことしかない。あとは実行に移すのみである。

ところが「もらう」となると、コトは一気に複雑になってくる。

まず、もらった限りは、もれなく「お礼」を言わねばならない。これをまさに「礼儀」という。もちろん、いただいたものが本当に必要なもの、ノドから手が出るほど欲しいものだったなら何も考えずともお礼の言葉が口をついて出てくるに違いないが、そうじゃない場合は、これはなかなかの心理的負担だ。

顔で笑って心で泣いて。つまり心の中では(いやーこんな要らんもんもらっちゃって……困ったな……)などと思いつつ、そんな心中は一切悟られぬよう、間髪入れず「あらうれしい! ありがとうございます」などと口走るのは、どう考えても相当な集中力と演技力を必要とするのであって、要するにかなり疲れる事態である。

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