いつも何かモノを「もらえる」人の意外な共通点 持ちすぎていた私が「もらう名人」になった理由

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それは「ものを持ちすぎない」こと。

言い換えれば、絶えず何かが不足している……という状態に、つねに自分を置くことである。

冒頭で、私が食べ物をよくもらっていることをご紹介したが、私がこれを心からありがたくうれしくホクホクといただいているのは、一にも二にも、わが家ではいつも食料が不足しているからである。

あ、いや不足していると言っても餓死しそうになっているとかそういうことではなくてですね、冷蔵庫のないわが家では、同じく冷蔵庫のなかった江戸時代の一般庶民と同様、一年中「一汁一菜」という質素な食事を旨としているということである。ご飯と味噌汁と漬物を来る日も来る日も食べ続けて十分満足という暮らし。

なので、そんな地味すぎる食生活になんだかんだと「おかず」がやってきてくれることは、これはもうどれもこれもパーティー気分のうれしさなのである。カレーやらおでんやらマリネやらもらった日にゃあ、もう本当に心から「わーうれしい!」と叫び、いそいそとお燗をつけたりするのは誠に自然なことなのであります。

「地下経済」は不足している者へと流れる

つまりはですね、質素であること、不足気味であることというのは世間一般から見ればもうまったく歓迎せざる事のように思われているわけなんだが、この「もらう」暮らしにおいては、間違いなく最大の財産と化すのである。

もちろん、食べ物だけのことに限らない。

私の友人はアパレルの仕事をしている関係上、やたらと服をたくさん持っているのだが、クロゼットが溢れてくると、これを親戚の20代のムスメにせっせとあげているそうだ。

なぜなら20代のムスメは服が不足しているのである。不足しているからキャッキャと心から喜んでそれを受け取るのである。だから友人もせっせと着ない服をあげるのである。先日は私もそこに便乗して着なくなったワンピースをキャッキャと受け取っていただいた。

つまりはですね、水が高きから低きに流れるように、余っている者から不足してる者へと回っていくのが「地下経済」の基本なのだ。なので、自分を低い状態においておくことこそが、最大の「もらう」コツなのである。

いやー、これってなかなか凄いことじゃないですかね?

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